「小京都」と呼ばれた金沢|地元が使う呼び名と愛称を出典つきで

金沢は昭和から平成にかけて「小京都」と呼ばれてきましたが、2008年以降、金沢市はこの呼び方を積極的には使っていません。一方で、近江町市場を指す「おみちょ」、金沢21世紀美術館を指す「21美」「まるびぃ」など、地元で自然に使われている愛称は数多くあります。それぞれの呼び名がどこから来たのかを、出典つきで整理します。
「小京都」は、京都に似た街並みや文化を持つ都市に使われる全国区の呼び名で、金沢もかつてはその代表格とされていました。しかし金沢市は2008年、この呼び方を看板にした団体「全国京都会議」から退会し、独自の歴史・文化を前面に出す方向へと舵を切っています。
一方、地元で日常的に使われている愛称も金沢には数多くあります。この記事では「小京都」という呼び名の由来と現在の立ち位置、そして近江町市場や金沢21世紀美術館の愛称を、出典つきで紹介します。
「小京都」と呼ばれてきた金沢、今はどう呼ぶ?
庭園や街並みが京都と似ることから呼ばれてきましたが、2008年に金沢市はこの呼称の使用をやめました。
「小京都」という呼び名の由来
金沢はかつて「小京都」と呼ばれていました。四季で移ろう庭園や、寺社・灯籠・石畳のある町並み、そして伝統工芸や和文化が暮らしに根づいている点が京都と似ていることが、この呼び名の理由とされています。ただし金沢の文化は公家文化ではなく、加賀藩の武家文化と町人文化を基盤に育まれたものであり、京都とは成り立ちが異なります。
全国京都会議からの離脱
「小京都」は、京都に似た街並みを持つ都市が加盟する「全国京都会議」(1985年発足)の呼称としても使われてきました。金沢市も発足当初から加盟していましたが、2008年に退会しています。PR方針の見直しにより、「京都らしさ」を売りにするのをやめ、金沢独自の歴史・文化を前面に出す観光戦略へ転換したことが理由とされます。
地元の人は市場や美術館をどう呼んでいる?
近江町市場は「おみちょ」、金沢21世紀美術館は「21美」「まるびぃ」の愛称で親しまれています。
近江町市場と「おみちょ」
近江町市場は1721年(享保6年)、加賀藩前田家の御膳所として始まった市場です。以来およそ300年にわたり金沢市民の食を支えてきましたが、地元では正式名称よりも「おみちょ」という愛称で呼ばれることがほとんどです。
金沢21世紀美術館の愛称「21美」「まるびぃ」
2004年に開館した金沢21世紀美術館は、地元で「21美(にじゅういちび)」と略して呼ばれています。また、どの角度から見てもガラス張りの円盤のように見える建築であることから「まるびぃ」という愛称も広く使われており、一つの施設に複数の呼び名が定着している点が特徴です。
出典:金沢21世紀美術館
よくある質問
「小京都」を名乗る都市は金沢以外にもある?
はい。「全国京都会議」には全国各地の城下町・門前町が加盟しており、金沢もかつては加盟都市の一つでした。「小京都」は特定の一都市だけを指す言葉ではなく、各地に存在するご当地ブランドの一種です。
金沢21世紀美術館の建築は誰が設計した?
建築家ユニットSANAA(妹島和世・西沢立衛)が設計を手がけました。ガラス張りの円形という開放的なデザインは、展示室を独立させながら誰でも自由に出入りできる公園のような空間を意図したものとされています。
近江町市場は魚や野菜以外の店もある?
はい。鮮魚店や青果店が中心ですが、生花店や衣料品店なども軒を連ねており、食だけでなく暮らし全般を支える市場として親しまれています。
「小京都」は金沢のどの場所を指して使われていた?
特定の一角ではなく、寺町台の寺院群やひがし茶屋街などを含む町並み全体を指して使われることが多く、金沢のまちのイメージそのものを表す言葉として語られてきました。
「金沢」という地名自体の由来は?
芋掘り藤五郎という男が、湧き水で山芋を洗ったところ大量の砂金が出てきたという伝説に由来するとされます。「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、それが「金沢」に転じたと伝わります。この伝説の舞台とされる湧水「金城霊沢」は、兼六園のそばの金沢神社の近くに今も残っています。