鶴ヶ城(若松城)の歴史|築城から再建、赤瓦の天守まで

最終更新: 2026-07-10

東黒川館と葦名氏を描いた架空のドット絵風景

会津若松のシンボル・鶴ヶ城は、南北朝時代の館を起源に、幕末の戊辰戦争で新政府軍の猛攻に耐え、明治初期には取り壊され、昭和になって再建されました。天守の姿がたどった歴史を、出典つきで整理します。

鶴ヶ城(若松城)は、1384年に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、戦国末期に蒲生氏郷が近世城郭として整備した城です。江戸時代には保科正之・松平家による会津藩23万石の本拠となり、幕末には戊辰戦争最大の激戦地の一つになりました。

この記事では、築城から明治の解体、そして1965年の天守再建、2011年の赤瓦復元まで、鶴ヶ城の姿がどのように変わってきたかを出典つきでたどります。

東黒川館から「鶴ヶ城」へ―蒲生氏郷の築城

1384年の館を起源に、1593年に蒲生氏郷が石垣と天守を備えた近世城郭を築き「鶴ヶ城」と命名しました。

東黒川館と葦名氏

1384年(至徳元年)

鶴ヶ城の前身は、1384年に葦名直盛が築いた東黒川館です。以後、会津を支配した葦名氏のもとで黒川城と呼ばれる城下が形成されましたが、1589年、伊達政宗が摺上原の戦いで葦名氏を破り会津に入ると、この地は伊達領となりました。

出典:鶴ヶ城のご案内

蒲生氏郷と鶴ヶ城の誕生

1593年(文禄2年)天守完成

1590年に伊達政宗に代わって会津に入った蒲生氏郷は、1593年までに石垣と濠を備えた本格的な近世城郭を築き、地名を黒川から「若松」に改め、望楼型の天守を「鶴ヶ城」と名付けました。城下の整備とあわせて、産業の基盤づくりもこの時期に進められています。

出典:鶴ヶ城のご案内

地震と改修―加藤氏時代の五層天守

1611年の大地震で被害を受けた天守を、加藤嘉明・明成が層塔型の五層天守に改修しました。

会津地震と天守の被害

1611年(慶長16年)

1611年、会津盆地を震源とする大地震が発生し、鶴ヶ城も石垣が崩れ天守が傾くなど大きな被害を受けました。当時の領主は蒲生秀行で、その後1627年に伊予松山から加藤嘉明が会津に入るまで、抜本的な改修は行われませんでした。

出典:鶴ヶ城のご案内

加藤氏による五層天守への改修

1627〜1639年ごろ

伊予松山から入った加藤嘉明と、その子・明成は、地震で被害を受けた城の大規模改修を進めました。天守は望楼型から層塔型に建て替えられ、縄張りも北向きに変更されて堅固な守りの城となりました。現在再建されている天守は、この加藤氏時代の姿を基にしています。

出典:鶴ヶ城のご案内

戊辰戦争の籠城から、現代の再建まで

1868年の戊辰戦争で1か月の籠城に耐えましたが、1874年に解体され、1965年に天守が再建されました。

戊辰戦争と1か月の籠城

1868年(慶応4年)

1868年、戊辰戦争で旧幕府側の中心となった会津藩は、8月から新政府軍を迎えて鶴ヶ城で籠城戦を戦いました。城は1か月に及ぶ猛攻に耐えましたが、藩は9月に降伏・開城しました。この籠城戦への耐久力から、鶴ヶ城は難攻不落の名城として知られるようになりました。

出典:鶴ヶ城のご案内

解体から天守再建、赤瓦復元まで

1874年解体・1965年再建・2011年赤瓦

明治政府により1874年までに天守など建物はすべて取り壊されましたが、石垣は残り、1934年に国史跡「若松城跡」に指定されました。1965年、明治初期の古写真をもとに天守が外観復元され、2011年には屋根瓦が幕末当時と同じ赤瓦に葺き替えられ、当時の姿に近づきました。

出典:鶴ヶ城のご案内

よくある質問

なぜ「鶴ヶ城」と「若松城」、2つの呼び方がある?

どちらも同じ城を指します。「若松城」は地名にもとづく呼び方で、国の史跡指定名も「若松城跡」ですが、天守を築いた蒲生氏郷自身が名付けたのは「鶴ヶ城」であり、観光や日常ではこの呼び方が広く使われています。

現在の天守は木造?

いいえ。1965年の再建はコンクリート造で、明治初期に撮影された古写真をもとに外観を復元したものです。天守内部は「若松城天守閣郷土博物館」として公開されています。

赤瓦はなぜ会津で使われている?

会津藩主・保科正之の命により、雪国の寒さや積雪に耐えられるよう、鉄分を多く含む釉薬を用いた赤瓦が開発されたためです。この赤瓦はやがて奥州各地に広まりましたが、天守にこの赤瓦を用いている例は、現在は鶴ヶ城のみとされています。

城下町にはほかにどんな見どころがある?

藩主一家が湯治に用いたと伝わる東山温泉が、鶴ヶ城から見て東の山あいに今も残っています。城の防御という視点だけでなく、藩主や藩士の暮らしという視点からも会津若松の城下町を眺めることができます。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

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