さざえ堂(円通三匝堂)|二重らせんの木造建築を出典つきで

最終更新: 2026-07-10

円通三匝堂という正式名称を描いた架空のドット絵風景

飯盛山にある「さざえ堂」(正式名称・円通三匝堂)は、上りと下りが一度も交わらない二重らせん構造を持つ、世界的にも珍しい木造建築です。考案の経緯と、明治維新をくぐり抜けた歴史を出典つきで紹介します。

さざえ堂は1796年(寛政8年)、飯盛山にあった正宗寺の住職・郁堂が考案した六角三層のお堂です。高さ16.5メートルの堂内には、参拝者が一方通行でめぐれる二重らせんのスロープが設けられています。

この記事では、この珍しい構造がどのような仕組みなのか、そして明治の廃仏毀釈で堂内の観音像が失われた経緯までを紹介します。

なぜ「らせん」なのか―郁堂が考えた参拝の仕組み

上りと下りが別の通路になる二重らせん構造により、参拝者が一度もすれ違わずに巡拝できます。

円通三匝堂という正式名称えんつうさんそうどう

1796年建立・高さ16.5m

さざえ堂の正式名称は「円通三匝堂」です。「三匝」とは3回めぐるという意味で、堂内のらせん状スロープを進むと、外から見て3回ほど巡るように上り下りする構造になっています。飯盛山にあった正宗寺の住職・郁堂が考案し、1796年に建立されました。

出典:さざえ堂(国指定重要文化財)

二重らせんという建築上の工夫

上りと下りが交わらない一方通行

堂内のスロープは、上りと下りが別々の通路として重なる「二重らせん」構造になっています。参拝者は上りのスロープを進んで頂部へ達し、そのまま下りのスロープをたどって出口に至るため、参拝者が多い日でも人がすれ違うことがありません。この構造は、フランス・シャンボール城のらせん階段を思わせるとして紹介されることもあります。

出典:会津さざえ堂:奇想天外な「らせんの迷宮」

観音巡礼の場から、重要文化財へ

江戸期は西国三十三観音の巡礼堂でしたが、明治の廃仏毀釈で観音像は失われ、1995年に重要文化財指定されました。

西国三十三観音の巡礼堂として

江戸時代

建立当初、らせんのスロープには西国三十三観音の像が安置され、参拝者はさざえ堂を一巡するだけで三十三観音すべてを参拝したことになるとされていました。実際に西国まで巡礼に出るのが難しい人々にとって、身近に巡礼を体験できる場として作られたお堂でした。

出典:円通三匝堂(会津さざえ堂)VR動画

廃仏毀釈と国指定重要文化財

1995年(平成7年)指定

明治初期の廃仏毀釈で正宗寺は廃寺となり、堂内にあった三十三観音像は撤去されました。その後は白虎隊十九士の霊像が一時安置されましたが、現在のさざえ堂内には「皇朝二十四孝」の額が掲げられています。建築そのものの特異性が評価され、1995年に国の重要文化財に指定されました。

出典:会津若松市の史跡一覧<国指定文化財> 旧正宗寺三匝堂(さざえ堂)

よくある質問

さざえ堂という名前は何が由来?

建物の外観が、らせん状の殻を持つ巻貝「さざえ(栄螺)」に似ていることが由来です。地元では正式名称の「円通三匝堂」よりも「さざえ堂」の呼び方が広く使われています。

似たような「さざえ堂」は他の地域にもある?

はい。江戸時代には各地に同様の栄螺堂(さざえ堂)が建てられましたが、現存する例はごくわずかで、会津のさざえ堂はその中でも二重らせん構造を今に残す代表例とされています。

堂内の三十三観音像は今どこにある?

現在の所在は明らかになっていません。廃仏毀釈の混乱の中で撤去された後の行方について、はっきりした記録は伝わっていないとされます。

さざえ堂には歩いて上れる?

はい。内部は木造のスロープになっており、参拝者は歩いて頂部まで上り、そのまま下りの通路を通って外に出ます。段差の少ないスロープ構造のため、階段の上り下りとは異なる感覚で一巡できます。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

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