「会津っぽ」とは?会津若松の人を指す呼び方を出典つきで

会津若松の人は「会津っぽ」と呼ばれることがあります。夏目漱石の小説にも登場するこの言葉は、一度決めたことを曲げない気質を表す呼び方です。その由来と、現代の会津若松市が掲げる「あいづっこ宣言」との関係を、出典つきで整理します。
「会津っぽ」は、会津若松出身の人を指す呼び方です。「〜っぽ」は出身地を示す接尾辞で、他地域の「土佐っぽ」などと同じ仲間の言葉ですが、会津っぽには「一度決めたら曲げない」という気質のイメージが強く結びついています。
一方、会津若松市は2002年(平成14年)に、青少年の行動指針「あいづっこ宣言」を策定し、市民が目指す「あいづっこ」という姿を示しました。この記事では、歴史的な呼び方「会津っぽ」と、現代の「あいづっこ」、それぞれの由来を出典つきで紹介します。
「会津っぽ」はどんな意味の呼び方?
会津の人がもつ「一度決めたら最後まで曲げない」という頑固で一徹な気質を表す呼び方です。
会津っぽあいづっぽ
「会津っぽ」は、会津若松出身の人を指す呼び方です。「〜っぽ」は出身地を示す接尾辞で、土佐(高知)の人を指す「土佐っぽ」などと同じ仲間の言葉にあたります。会津っぽという言葉には、一度決めたことを最後まで曲げない、頑固で一徹な気質というイメージが強く結びついており、単なる出身地の呼び方以上の意味を持って使われています。
夏目漱石『坊っちゃん』と「会津っぽ」
「会津っぽ」という呼び方を全国に広めた立役者が、夏目漱石が1906年に発表した小説『坊っちゃん』です。主人公が、会津出身の同僚教師・堀田(あだ名「山嵐」)に出身地を尋ね、「会津っぽか、強情な訳だ」と親しみを込めて言う場面があり、この一節が「会津っぽ=強情」という気質のイメージを広く定着させたとされます。
現代の会津若松が掲げる「あいづっこ」とは
会津若松市が2002年に策定した「あいづっこ宣言」が示す、市民が目指す子ども・会津人の姿です。
あいづっこ宣言
会津若松市は2002年、有識者による策定会議の提言を受け、青少年の行動指針「あいづっこ宣言」を策定しました。「人をいたわります」「がまんをします」など6つの行動と、「やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」という一文からなり、子どもから大人まで、会津で育つ・暮らす人が目指す姿を示しています。
什の掟じゅうのおきて
「あいづっこ宣言」が踏まえたのが、江戸時代の会津藩に伝わる「什の掟」です。6歳から9歳の藩士の子は町ごとに10人前後の「什」という組を作り、年長者への礼儀や卑怯な振る舞いの禁止など7つの掟を毎日唱和しました。掟の最後に付け加えられた「ならぬことはならぬものです」の一文は、そのまま「あいづっこ宣言」にも受け継がれています。
よくある質問
「あいづっこ宣言」は学校で教えられている?
はい。市内の小中学校などで唱和や暗唱の機会が設けられており、市の推進母体「会津若松市青少年育成市民会議」が学校・地域と連携して普及に取り組んでいます。
「坊っちゃん」に出てくる「山嵐」というあだ名は、実在の会津人にも関係がある?
関係があるとする紹介もあります。会津藩の家老・西郷頼母の養子で柔道家の西郷四郎は、得意技が「山嵐」と呼ばれ、小説『姿三四郎』のモデルにもなりました。『坊っちゃん』の同僚のあだ名に、漱石の会津への関心がうかがえるという見方です。
「あいづっこ宣言」の内容はどうやって決まった?
2001年に発足した有識者6人の策定会議が、学校・補導関係者・警察へのヒアリングや市民からの意見募集を経て素案をまとめ、2002年1月に市長へ提言書を提出、同年2月の庁議で決定されました。
「什の掟」を破るとどうなった?
罰は段階的で、最も軽いのは皆の前での謝罪、次に「しっぺ」、さらに重いと火鉢の上に手をかざす、雪の中に埋めるなどがあり、最も重い罰は仲間からの「絶交」でした。絶交を解いてもらうには、親と共に什の仲間一人ひとりの家を回って謝る必要がありました。
会津の方言のあいさつには何がある?
会津地方には「今晩は」を意味する「おばんです」というあいさつがあります。日暮れから夜にかけて時間帯を問わず使われる言葉で、「晩」に丁寧語の「です」を付けた形です。「会津っぽ」や「あいづっこ」と同じく、会津の人柄や暮らしを表す言葉のひとつです。