Q1. 鹿児島市街地からフェリーで行き来できる、錦江湾に浮かぶ活火山は?
- 桜島
- 富士山
- 阿蘇山
- 開聞岳
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正解桜島
桜島は鹿児島市街地の目の前、錦江湾(鹿児島湾)に浮かぶ活火山。今も噴煙を上げ、市民は降灰と付き合いながら暮らしている。市街地と桜島港の間には市営のフェリーが行き交い、火山は観光名所である以上に、暮らしの一部になっている。

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まずは、鹿児島の玄関口にあたる10問。市街地の目の前で噴煙を上げる桜島、薩摩を治めた殿様の家、繁華街生まれの真っ白な氷菓子——旅の一日目に出会う顔ぶれを、一歩だけ踏み込んで尋ねます。火山と暮らす街ならではの問いも交じります。全問正解なら、鹿児島案内はひとまず合格。答えを開けば、解説と出典が「なぜ」に答えます。
正解桜島
桜島は鹿児島市街地の目の前、錦江湾(鹿児島湾)に浮かぶ活火山。今も噴煙を上げ、市民は降灰と付き合いながら暮らしている。市街地と桜島港の間には市営のフェリーが行き交い、火山は観光名所である以上に、暮らしの一部になっている。
正解島津家
仙巌園は薩摩藩主・島津家の別邸として築かれた大名庭園で、国の名勝。錦江湾と桜島を望む雄大な眺めを誇り、島津家・薩摩藩の迎賓の場としても使われた。幕末には隣接地で近代化事業が展開されるなど、島津家の歴史を語る場所である。
正解西郷隆盛
西郷隆盛は薩摩藩出身の武士・政治家で、明治維新の立役者の一人。新政府を離れて鹿児島に戻り、1877年に西南戦争を起こした。西南戦争は明治期最大規模の内戦となり、鹿児島の各地に今もゆかりの史跡が残る。
正解さつま揚げ
さつま揚げは魚のすり身を油で揚げた郷土料理で、地元では「つけあげ」と呼ばれる。琉球の揚げかまぼこ「チキアーギ」が伝わったとする説があり、名前の由来ともいわれる。砂糖を使った甘めの味付けが特徴で、そのままでも焼いても楽しめる。
正解焼酎
鹿児島は芋焼酎の本場として知られ、県内各地に蔵が点在する。原料のさつまいもと温暖な気候が独自の焼酎文化を育て、お湯で割ってじっくり味わう飲み方が根づいてきた。焼酎は日々の晩酌から祝いの席まで、鹿児島の暮らしに寄り添う酒である。
正解白熊
白熊は削った氷に自家製のミルクをかけ、フルーツなどを彩りよく盛った鹿児島生まれのかき氷。天文館の「むじゃき」で考案されたと伝わる。夏の風物詩として親しまれ、鹿児島観光の定番グルメになっている。
正解ジンベエザメ
いおワールドかごしま水族館の黒潮大水槽では、世界最大の魚ジンベエザメを展示する。同館は幼い個体を一定の大きさまで育てて海へ帰す独自の方式をとることで知られ、目の前に広がる錦江湾の海とともに歩む水族館である。
正解天文館
天文館は鹿児島市中心部に広がる南九州最大級の繁華街。アーケードの通りに飲食店や商店が連なり、人の流れが絶えない。かき氷「白熊」発祥の店をはじめ、鹿児島の食文化にも出会える、昼も夜もにぎわいの続く鹿児島の顔というべき一角だ。
正解桜島大根
桜島大根は桜島の火山灰土壌で育てられてきた鹿児島の伝統野菜。2003年には重さ31.1kgの株が「世界一重い大根」としてギネス世界記録に認定された(記録はその後、他品種に更新されている)。きめ細かく煮崩れしにくい肉質で、煮物や漬物に使われる。
正解×(誤り)
かつての桜島は文字どおり錦江湾に浮かぶ島だった。大正時代に起きた桜島の大噴火で流れ出た大量の溶岩が瀬戸海峡を埋め、大隅半島と陸続きになったため、現在は車でも渡ることができる。噴火が地図を書き換えた、鹿児島を象徴する出来事である。
続く15問は、地元の記憶に踏み込みます。西郷と並び立つもう一人の偉人、路面電車が走り始めた年、桜島を生んだ巨大なくぼ地の名——数字と固有名詞の精度が問われる段です。黒豚のルーツや焼酎の土壌、駅の改称の物語など、暮らしの背景にある「なぜ」も尋ねます。歴史の問いには年号の手がかりを添えました。迷ったら、幕末から明治への時間の流れを思い浮かべてください。
正解大久保利通
大久保利通は西郷隆盛と同じ城下の一角で生まれ育ったとされ、明治政府では中心人物として国づくりを主導した。西郷が西南戦争に倒れた翌1878年、東京・紀尾井坂で暗殺される。同じ町内から出た二人が、維新の光と影を分け合った。
正解中央の扉から乗り、降りるときに運賃を支払う
鹿児島市電は「中乗り前降り・運賃後払い方式」を採用しており、乗客は電車中央の扉から乗車し、降りる際に運賃を支払う。ICカード「ラピカ」なら乗降時にタッチするだけでよく、現金なら運賃箱にちょうどの額を入れる。100年以上乗客を運んできた仕組みは、今も変わらぬ市民の足の使い方である。
正解神戸市から西で最初にできた百貨店
山形屋は1751年創業の呉服店を起源とし、明治期には近代的な百貨店建築に発展した、神戸市から西では最初にできたとされる百貨店。地方百貨店の先駆けとして知られる。
正解姶良カルデラ
約2万9千年前の巨大噴火によって、錦江湾の奥に姶良カルデラと呼ばれる巨大なくぼ地が生まれた。桜島はその南縁に約2万6千年前に誕生した火山で、錦江湾の奥は、このカルデラの跡に海が入り込んだ地形とされる。
出典:桜島の成り立ち|鹿児島市
正解小魚
きびなごはニシン科の小魚。鹿児島南部の方言で帯を「きび」、小魚を「なご」と呼ぶことが名の由来とされ、銀色の体に走る青い帯模様がその名のとおり美しい。手開きの刺身を菊の花のように並べる「菊花造り」が郷土の定番である。
正解シラス台地
鹿児島特有の火山灰などが厚く降り積もった「シラス台地」は、水はけがよく稲作には不向きな土地だった。その一方で乾燥に強いさつまいもの栽培にはよく適し、いも作と芋焼酎の文化が深く根づく土台となった。
正解琉球
かごしま黒豚のルーツは、約400年前に島津家久が琉球から移入した豚と伝わる。明治期にはイギリスから導入された豚との交配で改良が進んだ。現在は仕上げ期にさつまいもを加えた餌で育てることがブランドの条件の一つで、甘みのある上質な肉を生む。
正解白熊(シロクマ)の顔
白熊の名は、レーズンやチェリー、アンゼリカなどをのせた盛り付けを上から見ると、白熊の顔のように見えることに由来するとされる。誕生から70年余り、氷とミルクの上に果物で「顔」を描く流儀は、いまも一杯ごとに受け継がれている。
正解海へ帰す
「かごしま方式」は、定置網に入った幼いジンベエザメを一定の大きさまで育ててから海へ帰す、いおワールドかごしま水族館独自の飼育の考え方。巨大になる魚を終生飼うのではなく、海と水槽のあいだで世代を循環させていく。
正解アミュラン
アミュランは鹿児島中央駅の商業施設「アミュプラザ鹿児島」の屋上に立つ観覧車。ゴンドラからは市街地や桜島を一望できる。ビルの屋上に置かれた観覧車としては日本で5例目とされ、駅のシンボルになっている。
正解ダイヤメ
「ダイヤメ」は鹿児島の方言で晩酌を指す言葉で、一日の「疲れ(だれ)」を「治める(やめる)」ことに由来するとされる。「オゴジョ」は若い女性、「ニセ」は若者、「オイドン」は「私たち」を意味する、それぞれ別の鹿児島弁である。
正解芝生などによる緑化
鹿児島市電では、線路の敷石部分を芝生で覆う軌道敷の緑化を進めてきた。ヒートアイランドの緩和や騒音の低減、景観の向上を狙った取り組みで、緑の帯の上を走る路面電車は、いまや鹿児島の街並みを象徴する風景になっている。
正解緑化(植栽)
マルヤガーデンズは、閉店した三越鹿児島店の建物をリノベーションして2010年に開業した商業施設。外壁や屋上を植栽で緑化し、屋上庭園「ソラニワ」を設けるなど、各フロアに交流スペース「ガーデン」を配した「ユナイトメントストア」を掲げている。
正解天文観測のための施設
「天文館」という地名は、薩摩藩主・島津重豪が1779年に建てた、暦の研究のための天文観測施設に由来するとされる。学問好きの藩主の気風を伝える、鹿児島らしい地名の由来である。
正解約15分
桜島フェリーは鹿児島港と桜島港を約15分(悪天候時は20分ほど)で結ぶ、鹿児島市船舶局が運航する市営航路。年中無休で運航され、通勤・通学から観光、物流まで、市街地と桜島をつなぐ暮らしの動脈になっている。
仕上げの15問は、薩摩の物語の脚注へ。戦場に猫を連れて行った武将、幕末のガラスに宿る色の技、降灰の日々を支える市民の道具——鹿児島がなぜ今の姿なのかを、歴史・工芸・防災の面から問います。噴火の年表を並べ替える問題や、世界遺産の構成資産を選び抜く問題も待っています。ここを越えたら、本番の検定で上位の称号を狙う準備は整っています。
ヒント: 鹿児島湾越しに望む活火山
正解桜島と錦江湾
仙巌園は、雄大な桜島を築山に、錦江湾を池に見立てたと言われる壮大な借景庭園。万治元年(1658)に19代当主・島津光久が別邸として築き、歴代当主が手を加えてきた。庭の外の風景まで取り込む発想の大きさが、この庭園の真骨頂である。
正解島津義弘
猫神社は、島津義弘が朝鮮出兵の戦場に7匹の猫を連れて行き、瞳孔の開き方で時刻を計ったという逸話にちなむ神社。生きて帰った2匹の猫が祀られている。戦場で「時計」を務めた猫たちの物語が、仙巌園の一角に静かに残されている。
ヒント: シラス台地由来の石材
正解溶結凝灰岩
慶応元年(1865)竣工の旧集成館機械工場は、レンガではなく地元で採れる溶結凝灰岩を使った、日本最初の本格的な洋式石造建築物とされる。幕末薩摩の建築に広く見られる石材で、建物は現在、尚古集成館として島津家の歴史を伝えている。
ヒント: 奈良時代の噴火が最も古い
正解天平宝字噴火 → 文明噴火 → 安永噴火 → 大正噴火
天平宝字噴火(764年)→文明噴火(1471〜76年)→安永噴火(1779〜82年)→大正噴火(1914年)の順。いずれも記録に残る桜島の代表的な大噴火である。最後の大正噴火では流れ出た溶岩が海峡を埋め、桜島は大隅半島と地続きになった。
正解旧集成館/寺山炭窯跡/関吉の疎水溝
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」のうち鹿児島の構成資産は、磯地区の「旧集成館」、動力用の水を引いた「関吉の疎水溝」、燃料の白炭を焼いた「寺山炭窯跡」の3件。工場だけでなく水とエネルギーの供給元まで含む点に、集成館事業の全体像が表れている。
正解桜島とベスビオ火山、錦江湾とナポリ湾
噴煙を上げる桜島と、その麓に弧を描く錦江湾。この取り合わせがベスビオ火山とナポリ湾の景観になぞらえられ、鹿児島は「東洋のナポリ」と呼ばれるようになった。海越しに活火山を望む県都は世界でも数少なく、この眺めこそ鹿児島観光の原点といえる。
正解1,117m
桜島の最高峰・北岳(御岳)は標高1,117m。すでに山頂噴火を終えた古い火山体で、現在の活動は南に連なる南岳(気象庁の独自測定で1,060m)が担っている。海面からそそり立つ独立峰だけに、数字以上の迫力で市街地に迫って見える。
正解女性
「おごじょ」は鹿児島の方言で娘・若い女性のこと。「薩摩おごじょ」といえば鹿児島の女性を指す定番の言い回しとして辞書にも載る。おはら祭で披露される勇壮な「おごじょ太鼓」の名にも、この言葉が受け継がれている。
正解生麦事件
1862年(文久2)、薩摩藩の行列を横切ったイギリス人を藩士が殺傷した生麦事件が起こる。翌1863年、賠償を求めるイギリス艦隊7隻が鹿児島湾に来航し、薩英戦争となった。攘夷の気運のただ中で薩摩を世界と対峙させた、幕末の転換点である。
出典:鹿児島県/薩英戦争
正解島津斉彬
照国神社は薩摩藩11代藩主・島津斉彬を祀る神社。集成館事業などで日本の近代化を先導した名君の死後、文久3年(1863)に「照國大明神」の神号が勅許され、創建された。斉彬の遺徳を慕う人々の崇敬を、今も集め続けている。
出典:御由緒|照國神社
正解おはら祭
おはら祭は毎年11月2・3日、天文館の電車通り一帯で開かれる南九州最大の祭り。昭和24年(1949)に始まり、「おはら節」の調べに乗せて約2万人の踊り手が通りを埋める総踊りは圧巻である。秋の鹿児島がいちばん華やぐ二日間といえる。
正解ぼかし
薩摩切子は、幕末の薩摩藩が殖産興業の一環として生み出したガラス工芸。厚く被せた色ガラスを削ることで生まれる色の濃淡「ぼかし」が特徴で、江戸切子にはない柔らかな表情を見せる。一時途絶えたが、1985年に復元され今日に受け継がれている。
ヒント: 「灰に打ち克つ」という意欲を示す名称
正解克灰袋
桜島の降灰を回収するため、鹿児島市は専用の「克灰袋」を市民に配布している。灰に「打ち克つ」という意志を込めた名前で、宅地に積もった灰を袋に集めて指定置場に出すと回収される。火山とともに暮らす都市ならではの、日常の知恵である。
出典:克灰袋の提供|鹿児島市
正解8.6水害
1993年8月6日の集中豪雨「8.6水害」で甲突川が氾濫し、江戸期の名橋・五石橋のうち2橋が流失した。残った西田橋など3橋は保存のため石橋記念公園へ移設され、今も実際に渡ることができる。災害の記憶と土木遺産をあわせて伝える場所である。
ヒント: 猿の叫び声になぞらえた語
正解猿叫
示現流の稽古で発せられる甲高い気合は、猿の叫びにたとえて「猿叫(えんきょう)」と呼ばれる。時代劇でおなじみの「チェスト」は創作を通じて広まったかけ声で、実際の稽古で使われる言葉とは異なるとされる。立木を太刀で打ち続ける荒稽古とともに、薩摩の剣の気風を伝えている。