桜島と生きる鹿児島市|大正大噴火と「克灰袋」で見る火山との暮らし

鹿児島市の目の前にそびえる桜島は、今も気象庁が24時間体制で見守る活火山です。1914年の大正大噴火はどんな被害をもたらしたのか、そして降灰と隣り合う暮らしをどう支えているのか、出典つきで解説します。
桜島は市街地からわずか数キロという近さにありながら、噴火を繰り返してきた活火山です。歴史時代には4回の大規模噴火(プリニー式噴火)が記録されており、直近の1914年の大正大噴火では、島の姿そのものが変わりました。
この記事では、大正大噴火の記録と、噴火警戒レベルによる現在の監視体制、そして降灰と共存するための「克灰袋」という鹿児島市独自の仕組みを紹介します。
桜島は今も噴火し続けている活火山
気象庁の「常時観測火山」の一つで、1914年の大正大噴火では陸続き化まで起きました。
常時観測火山としての桜島
日本国内には気象庁が噴火予報・噴火警報を発表する活火山が111あり、そのうち防災上とくに必要性が高い50の火山が、気象庁や大学などによって24時間体制で観測される「常時観測火山」に選ばれています。桜島もこの一つで、火山活動の状況は「噴火警戒レベル」として1(活火山であることに留意)から5(避難)までの5段階で常時発表されています。
大正大噴火
1914年1月12日に始まった大正大噴火は、20世紀以降の日本で噴出量が最大の火山噴火とされます。噴火中に起きたマグニチュード7程度の桜島地震を含め、公式には58名の死者・行方不明者を出しました(皇室からの御救恤金の記録などから、実際の犠牲者はこれより多かったとする指摘もあります)。東西山腹から流出した溶岩は、それまで幅約360メートルあった瀬戸海峡を埋め、1月末までに桜島は大隅半島と陸続きになりました。
噴火と隣り合う暮らしの工夫と教訓
鹿児島市は降灰処理用の「克灰袋」を配布し、大噴火の教訓は石碑に刻まれ今も残っています。
克灰袋
敷地に積もった火山灰を収集するための袋で、鹿児島市が本庁・支所・地域福祉館などで無料配布しています。1985年度に配布が始まった当初は「降灰袋」という名称でしたが、1991年に「克灰袋」へ改称されました。集めた灰は指定の「宅地内降灰指定置場」に出し、市が2トントラックで回収します。
出典:鹿児島市「克灰袋の提供」
桜島爆発記念碑
大正大噴火の前、東桜島村では測候所に問い合わせても「噴火の恐れはない」と回答されたため避難が遅れ、村長・収入役ら村の幹部を含む25名の死者・行方不明者を出しました。噴火から生き延びた当時の村書記が村長となり、1923年に村会へ記念碑の建立を提案。「理論ニ信頼セズ 異變ヲ認知スル時ハ未然ニ避難ノ用意尤モ肝要トシ」と刻んだ石碑が、現在も鹿児島市立東桜島小学校の校庭に残っています。
黒神埋没鳥居くろかみまいぼつとりい
黒神町の腹五社神社にあった高さ約3メートルの鳥居は、大正大噴火からわずか1日で軽石や火山灰に埋め尽くされ、現在は笠木部分の約1メートルだけが地上に出ている。当時の村長は、噴火の記憶を後世に伝えるためとして鳥居を掘り出さずそのまま残す決断をした。1958年に鹿児島県の天然記念物に指定されている。
出典:黒神埋没鳥居|観光スポット|かごしま市観光ナビ(鹿児島市公式)黒神埋没鳥居|観光スポット|【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅
よくある質問
桜島は今も噴火している火山?
有史以来最大の噴火は1914年の大正大噴火ですが、その後も山頂の南岳・昭和火口を中心に噴火活動が続いており、気象庁による24時間体制の観測は今も継続しています。
陸続きになった今も「桜島」と呼ばれるのはなぜ?
地形学ではこのような地形を「陸繋島」と呼びます。1914年に大隅半島と地続きになったあとも、火山そのものの名称や地域名としての「桜島」はそのまま使われ続けています。
克灰袋が手元にない場合はどうすればいい?
鹿児島市の案内によれば、克灰袋がないときはレジ袋を破れないよう2枚重ねて使うこともできるとされています。いずれも口をしっかり結んで指定の置場に出す必要があります。
「理論ニ信頼セズ」の石碑は今も見られる?
はい。鹿児島市立東桜島小学校の校庭に現存しており、噴火の前兆を感じたら公的な回答を待たずに自分の判断で避難すべきだという、当時の教訓が刻まれています。