ふく・くじら・瓦そば ― 唐戸市場と南風泊市場でたどる下関の食

下関の一日は、未明の市場から始まります。唐戸市場は午前3時に開き、彦島の南風泊市場では、布袋の中で指を握り合う競りが、ほぼ同じ頃に始まります。
ふぐを濁らずに「ふく」と呼ぶこの町は、ふく・うに・くじら・いか・あんこうを水産物の5大ブランドに掲げています。名物は数多くありますが、それがなぜ下関で育ったのかは、あまり語られません。
食の背景には、禁令と解禁の歴史、捕鯨の基地だった時代、港へ人と物が集まった暮らしがあります。ふくの呼び名ひとつにも、その積み重ねが映っています。
唐戸市場の週末 ― 活きいき馬関街をのぞく
唐戸市場は2001年に開設された市場で、金・土・日曜と祝日には市場の店が握りや丼を出す「活きいき馬関街」が開かれます。
唐戸市場からといちば
下関市地方卸売市場唐戸市場は、2001年(平成13年)4月に開設された、生鮮水産物と加工品を扱う市場です。開市は午前3時。卸売市場としての朝の顔と、観光客を迎える週末の顔の二つを持っています。
出典:唐戸市場(市場流通課)
活きいき馬関街
その日にあがった魚の握りやどんぶりを市場の店々が並べ、客が好みのものを選んで買い歩く催しで、「寿司バトル」の名でも親しまれています。河豚の握りも並びます。名前の「馬関」は、下関の古い呼び名にちなみます。
カモンワーフ
唐戸市場と海響館の間の唐戸町にあり、関門の海の幸を中心にしたレストランや土産物店が集まっています。市場で買い、モールで食べ、隣の水族館をのぞくという一続きの散策ができます。
出典:カモンワーフ 会社概要
「ふぐ」ではなく「ふく」― 禁令、解禁、そして市場
下関ではふぐを縁起のよい「ふく」と呼びます。長い禁令のあと1888年に解禁され、彦島の南風泊市場が全国唯一のふく専門の産地市場になりました。
ふくふく
下関市は、ふぐを幸福につながる「ふく」と呼んでいます。産地の名を守る地理的表示(GI)にも「下関ふく」が2016年10月に登録決定され、同年12月9日にGIマークを付けた初出荷がありました。
出典:下関ふく
ふぐ食禁止令
安土桃山時代、豊臣秀吉が朝鮮出兵で九州の名護屋に集めた兵士にふぐの中毒死が相次いだため禁止令を出した、とされています。江戸時代も幕府や各藩が禁じ、長州藩では中毒死すると家禄没収・家名断絶という厳罰でした。それでも庶民はふぐ汁などを食べていたらしい、といいます。
出典:ふぐの歴史
春帆楼のふぐ公許
1887年(明治20)の暮れ、初代総理大臣の伊藤博文が下関の春帆楼でふぐを食べ、それがきっかけで翌1888年(明治21)に山口県でのふぐ食禁止が解かれたと伝わります。春帆楼は「ふぐ料理公許第一号」として知られます。日清講和会議の会場になるのは、その7年後のことです。
南風泊市場はえどまりいちば
1974年(昭和49年)に彦島の西端に開設された、ふくに特化した国内唯一の産地卸売市場です。「南風」を「はえ」と読みます。取扱量はふぐで日本一とされ、背後には水産加工団地が造成されました。
袋セリふくろせり
南風泊市場のふくの競りは、未明の午前3時過ぎに始まります。セリ人と仲買人が布袋の中で手を握り合い、指の握り方で値段を決めるため、周りの人には価格が分かりません。袋セリを採用している市場は、南風泊だけだとされます。
ふぐを食べる作法 ― 菊盛り、みがき、毒と資格
ふく刺しは皿の模様が透けるほど薄く引いて菊や鶴の形に盛ります。毒のある部位を除く処理は、資格を持つ人だけが行えます。
みがき
有毒部位やヒレを取り除き、食べられる身だけにした状態のものです。市場でセリ落とされたふぐは仲買人に引き取られ、加工場で「みがき」やふく刺しに加工されます。この処理は、ふぐ処理の資格を持つ人しか行えません。
出典:下関ふく連盟について
テトロドトキシン
ふぐの毒はテトロドトキシンと呼ばれ、青酸カリの1000倍近い強さがあるといわれます。毒力は種類・部位・季節で異なり、市の説明では、毒化は主に食物連鎖によると推定されています。
ふぐ条例
日本で最初のふぐ条例は、1948年(昭和23年)に大阪府で制定されました。食品衛生法を根拠にふぐ毒による危害を防ぐ条例で、現在は25の都道府県が条例で定めています。ふぐ調理師は国家資格ではなく都道府県知事の免許で、基本的にはその都道府県内でのみ通用します。
出典:ふく料理
くじらの街だった頃、そして今
下関は近代捕鯨発祥の地とされ、南氷洋捕鯨の基地として「くじらの街」と呼ばれました。2019年の商業捕鯨再開後も、母船式捕鯨の基地です。
くじらの街くじらのまち
下関は近代捕鯨発祥の地とされ、戦前・戦後を通して南氷洋捕鯨の基地の役割を果たしました。鯨肉の交易や加工技術の交流の中継地として、南氷洋捕鯨の盛んな頃には多くのモノと人が行き交いました。
出典:くじらの街下関
大洋捕鯨とホエールズ
1936年(昭和11年)に中部幾次郎が下関で大洋捕鯨を創立し、日本初の国産捕鯨母船「日新丸」で南氷洋捕鯨に出漁しました。戦後、1946年の捕鯨再開の第一船は唐戸の岸壁から小笠原へ出港します。この鯨の繁栄のなかで、プロ野球の大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズの前身)が誕生したとされます。大洋漁業の前身は下関の林兼商店で、本社跡の記念碑は、1949年(昭和24)まで大洋漁業の本社が置かれていた場所を示しています。
商業捕鯨の停止と再開
1982年に国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨のモラトリアムを採択し、1987年に捕鯨船が下関港に帰港したのを最後に、商業捕鯨は止まりました。その後は調査捕鯨の基地として役割を担います。2018年12月に国際捕鯨取締条約からの脱退が表明され、2019年7月1日から排他的経済水域内での商業捕鯨が再開されて、下関は日新丸船団による沖合の母船式捕鯨の基地となりました。
海響館のクジラ骨格
2001年に開館した市立の水族館「海響館」には、全長約26mのシロナガスクジラの骨格標本が展示されています。もう一つの主役は、90年ぶりに見つかったヒゲクジラの新種とされる「ツノシマクジラ」です。1998年9月、角島と本土の間の海で漁船と衝突して死んだ1頭が、国立科学博物館などの調査で未知の種と分かり、2003年に学名 Balaenoptera omurai で発表されました。種小名は日本の鯨類学の祖とされる大村秀雄博士にちなみ、和名は標本の産地から付けられています。全身骨格の複製は、角島のつのしま自然館で見られます。
出典:やまぐちのくじら 捕鯨の歴史ツノシマクジラ Balaenoptera omurai ~日本で発見された新種のヒゲクジラ~
水産5大ブランドと、瓦そばという寄り道
下関は「ふく・うに・くじら・いか・あんこう」を水産物5大ブランドに掲げます。瓦そばは川棚温泉が発祥の、麺の名物です。
水産物5大ブランド
下関市は「ふく」「うに」「くじら」「いか」「あんこう」を水産物5大ブランドに位置づけ、それぞれにキャラクター(ふく夫・うに坊・くじ太・いか介・あん子)がいます。「ふく・うに・くじら」の3大ブランド化事業は、1995年度に始まっています。
瓶詰めうにびんづめうに
下関は「瓶詰めうに(粒うに)」発祥の地とされます。明治初期、六連島の西教寺の蓬山和尚が英国人の水先案内人と歓談中、うにの小鉢に誤ってジン(洋酒)をこぼしたところ、まろやかで美味だったことからアルコール漬けのうにが生まれたという話が伝わっています。
出典:下関の瓶詰めうに
下関北浦特牛イカ
豊北沖の日本海で春から秋に好漁場となるケンサキイカは「イカの王様」と呼ばれます。豊北地域で水揚げされる活イカと、特牛(こっとい)市場に水揚げされる鮮魚のうち、漁獲日に水揚げされたAランクが「下関北浦特牛イカ」です。旬は夏で、5〜6月に子持ちになると旨みが増します。
出典:下関北浦特牛イカ
瓦そばかわらそば
熱した瓦の上にゆでた緑色の茶そばを載せ、錦糸玉子・牛肉・のり・レモン・もみじおろしなどを添えて、しょうゆベースのつけ汁で食べます。ルーツは明治10年の西南戦争で、薩摩軍の兵士が瓦で野菜や肉を焼いて食べたという話をヒントに考案されたといわれます。発祥の川棚温泉は、下関港から北へ約25kmの位置にあります。
出典:瓦そば(広報誌aff)
よくある質問
「活きいき馬関街」は、いつ開かれますか。
金・土・日曜と祝日で、月〜木曜は開催がありません。営業時間は金・土曜が午前8時、日曜・祝日が午前7時から、いずれも午後3時までです。開催日は変わることがあるので、唐戸市場の営業カレンダーで確かめてください。
南風泊市場は見学できますか。
業者専門の市場のため、一般の見学はできません。未明に始まる袋セリは、外から見られない世界です。ふくを味わいたいときは、唐戸市場や市内の料理店へ足を運ぶことになります。
食べられるふぐは何種類ですか。
ふく連盟の説明では、世界に約100種、日本近海に約55種のふぐがいて、食用が認められているのは22種類です。代表格のトラフグは天然物の漁獲量が減り、養殖ものの流通が増えているそうです。
瓦そばは、家でも作れますか。
宴会のシメとして食べられるほか、ホットプレートを使った家庭料理としても親しまれている、と農林水産省の広報誌にあります。本場では、よく熱した瓦にゆでた茶そばを載せて出されます。