馬関・赤間関・下関、そして「関門」― 下関の呼び名をたどる

1901年に山陽鉄道が下関まで延びたとき、終点の駅名は「下関」ではなく「馬関」でした。名前が一つに定まる前の下関の話から始めましょう。
下関には、行政の名前、略称、海峡の名、異名、通称、方言と、呼び名がいくつも重なっています。地図には載らなくても、駅名や条約名、祭りの名、商店街の看板には、それぞれの時代の呼び名が残っています。
呼び名は時代とともに動きます。市の名前は明治のうちに一度改まり、海峡の名は隣の門司の名を借りて生まれ、魚の名は縁起で言い換えられました。
赤間関から下関へ ― 市名が変わるまで
1889年に山口県で唯一の市として誕生したときの名は「赤間関市」で、1902年6月に「下関市」へ改称しました。
赤間関あかまがせき
1889年(明治22)4月1日の市制施行で、山口県内で当時唯一の市として誕生したのが「赤間関市」でした。アジア歴史資料センターの解説は、日清講和当時の下関を「山口県赤間関市」と呼び、赤間関・赤馬関・馬関とも呼ばれたと説明しています。
馬関という別名が残るところ
馬関は赤間関の略称で、山陽鉄道の終着駅名、下関条約の別称、釜山との交流行事「しものせき馬関まつり」の名に残っています。
馬関ばかん
1901年(明治34)5月27日に山陽鉄道の神戸〜馬関が全通し、終点は細江町の「馬関駅」でした。駅名の「馬関」は下関の古い呼び名で、翌1902年に下関駅と改称されます。市名の改称と同じ年のことです。
馬関条約ばかんじょうやく
1895年の日清講和条約は、正式には「下関条約」ですが、「馬関条約」とも呼ばれます。馬関は下関の古い呼び名で、辞典にも「馬関条約」の見出しが立ち、下関条約の別名として扱われています。
「関門」は何と何を合わせた言葉?
「関門」は、下関の旧名・馬関の「関」と、対岸・門司の「門」を合わせた呼び名です。海峡には馬関海峡、穴戸海峡などの別名もありました。
関門かんもん
「関門」は、下関の旧名・馬関の「関」と、門司の「門」を合わせた言葉です(山口県観光連盟の説明)。海峡をはさむ両岸の町の名を一つに縫い合わせた、両岸をひとまとまりに呼ぶ言い方です。
出典:関門海峡
穴門あなと
『古事記』『日本書紀』は、仲哀天皇と神功皇后が九州の熊襲平定のため滞在した宮を「穴門の豊浦宮」と記します。長府の忌宮神社は、その滞在地に斎宮を建てたのが起こりと伝わります。日本書紀には「宮室を穴門に興てて居します。是を穴門豊浦宮と謂す」とあります(日本歴史地名大系の引用)。「関門」の名が生まれるよりずっと前から、この辺りは「穴門」と呼ばれていました。
ふく、くじらの街、西の浪華 ― 異名の由来
下関はふぐを「ふく」と呼び、かつては「くじらの街」、藩政時代には「西の浪華」と呼ばれる港でした。
ふくふく
下関ふく連盟は、「ふぐは不遇に通じ、ふくは福すなわち幸福につながる、とされたから」濁らずに呼ぶのだと説明します。語源には、平安時代の辞書『和名類聚抄』に「布久(ふく)」の記載があることや、膨れる、ふくべ(ひょうたん)に似る、海底の餌を吹いて探す、といった説も挙げられています。山口県の観光キャッチフレーズは「おいでませ ふくの国、山口」、シンボルマークは「ふくだるま」です。
くじらの街くじらのまち
近代捕鯨発祥の地とされ、南氷洋捕鯨の基地だった時代から「くじらの街」と呼ばれました。戦後の下関では、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズの前身)や女性吹奏楽団「ペンギンシスターズ」が生まれています。
通称と正式名 ― 島、神社、温泉、商店街
巌流島は古名が船島、亀山八幡宮は「関の氏神さま」、川棚温泉は「奥座敷」、駅前の商店街は「リトル釜山」と呼ばれています。
船島ふなしま
巌流島は古来「船島」と呼ばれ、明治初期は彦島村の共有地でした。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は1612年(慶長17年)とされ、小次郎の号(岩流/巌流)にちなんで巌流島と呼ばれるようになったといいます。ただし決闘は史料が乏しく、武蔵の『五輪書』にも記述がなく、詳細を伝える『二天記』は1755年の成立です。
出典:巌流島
亀山八幡宮かめやまはちまんぐう
下関の中心部にあり、「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれる神社です。貞観元年(859)、宇佐から石清水へ八幡神を勧請する一行が、当時は島だったこの山の麓に停泊した夜、「この山は清浄で我もっとも愛す。しばらく祀ってから進むように」と神託があり、仮殿を造ったのが始まりと『防長社寺由来』に伝わります。
奥座敷おくざしき
下関市の「奥座敷」と呼ばれるのが、下関港から北へ約25km、豊浦町にある川棚温泉です。市街地から少し離れた温泉地として、この呼び名で紹介されています。瓦そばの発祥の地でもあります。
リトル釜山
JR下関駅の北側に続くグリーンモール商店街は、焼肉や韓国食材の店、チマチョゴリの衣料品店などが並び、釜山の下町の雰囲気が漂うことから「リトル釜山」とも呼ばれます。山口県のコリアンタウンとして紹介され、駅から徒歩2分ほどです。
出典:グリーンモール商店街
山口弁 ― 下関だけでなく県全体の言葉として
「おいでませ」「ぶち」「〜ちょる」「はぶてる」は山口弁です。下関だけでなく、県全体で使われる言葉として紹介されています。
山口弁やまぐちべん
山口県の駅や空港、看板、マンホールまで至るところで見かける「おいでませ」は、標準語の「いらっしゃい」にあたる歓迎の言葉です。「ぶち」は「とても・すごく」の意味で、「ぶち暑いっちゃ」のように日常会話に多く、方言と気づいていない県民もいます。比較的新しい方言で、「ぶち壊す」など荒々しい動作を表す言葉から派生したといわれます。
出典:山口の方言
〜ちょる、はぶてる
「〜ちょる」は「〜ておる」が変化した語尾で、主に結果の状態を表し、進行は「〜よる」で表します。「花が散っちょる」は散ってしまった状態、「花が散りよる」は散っている最中です。県のPR本部長「ちょるる」の名前もこの語尾から来ています。「はぶてる」は拗ねる・いじけるの意味で、「はぶてんそっちゃ!」のように子どもの頃に言われる言葉です。
出典:山口の方言
よくある質問
「関門」と「関門海峡」と「早鞆瀬戸」は、どう違うのですか。
ざっくり言えば、指す範囲の違いです。「関門」は海峡をはさむ両岸の町を合わせた地域の呼び名、「関門海峡」は本州と九州のあいだの水路そのもの、「早鞆瀬戸」はその水路が下関と門司のあいだでいちばん細くなる場所を指します。
「馬関」は何と読みますか。
「ばかん」です。赤間関を略した下関の古い呼び名で、「赤馬関」と書かれることもありました。
「先帝祭」の「先帝」とは誰のことですか。
壇ノ浦で入水した安徳天皇のことです。赤間神宮に祀られ、旧暦3月24日の命日を明治の改暦で新暦5月2日と定めて、その日から先帝祭が営まれます。
「ふく」と「ふぐ」、どちらが正しい呼び方ですか。
全国では「ふぐ」が一般的ですが、下関市も下関ふく連盟も「ふく」を使い、地理的表示(GI)の名も「下関ふく」です。どちらかが誤りというより、下関では縁起を担いだ言い方が公式の呼び名になっている、ということです。