馬関・赤間関・下関、そして「関門」― 下関の呼び名をたどる

公開日:2026-09-29 / 最終更新:2026-10-01

下関の地名と呼び名を描いた架空のドット絵風景

1901年に山陽鉄道が下関まで延びたとき、終点の駅名は「下関」ではなく「馬関」でした。名前が一つに定まる前の下関の話から始めましょう。

下関には、行政の名前、略称、海峡の名、異名、通称、方言と、呼び名がいくつも重なっています。地図には載らなくても、駅名や条約名、祭りの名、商店街の看板には、それぞれの時代の呼び名が残っています。

呼び名は時代とともに動きます。市の名前は明治のうちに一度改まり、海峡の名は隣の門司の名を借りて生まれ、魚の名は縁起で言い換えられました。

赤間関から下関へ ― 市名が変わるまで

1889年に山口県で唯一の市として誕生したときの名は「赤間関市」で、1902年6月に「下関市」へ改称しました。

赤間関あかまがせき

下関の古い呼び名

1889年(明治22)4月1日の市制施行で、山口県内で当時唯一の市として誕生したのが「赤間関市」でした。アジア歴史資料センターの解説は、日清講和当時の下関を「山口県赤間関市」と呼び、赤間関・赤馬関・馬関とも呼ばれたと説明しています。

出典:市政の概要(略年表)日清講和会議の開始(1895年3月20日)日清戦争と講和

下関しものせき

1902年に改称・「上関」に対する名という説

赤間関市が下関市に改称したのは1902年(明治35)6月です。下関という地名は、山口県東部の上関(竈戸関)に対して、関門海峡側の関を下関と呼んだものとされます。市の年表には、1901年の山陽線全通と1905年の関釜連絡船就航が並びます。

出典:市政の概要(略年表)赤間関(事典項目)

馬関という別名が残るところ

馬関は赤間関の略称で、山陽鉄道の終着駅名、下関条約の別称、釜山との交流行事「しものせき馬関まつり」の名に残っています。

馬関ばかん

赤間関の略称・最初の駅名

1901年(明治34)5月27日に山陽鉄道の神戸〜馬関が全通し、終点は細江町の「馬関駅」でした。駅名の「馬関」は下関の古い呼び名で、翌1902年に下関駅と改称されます。市名の改称と同じ年のことです。

出典:日本遺産「関門“ノスタルジック”海峡」構成文化財:下関駅の振鈴山陽鉄道の全通

馬関条約ばかんじょうやく

下関条約のもうひとつの名

1895年の日清講和条約は、正式には「下関条約」ですが、「馬関条約」とも呼ばれます。馬関は下関の古い呼び名で、辞典にも「馬関条約」の見出しが立ち、下関条約の別名として扱われています。

出典:馬関条約→下関条約(事典項目)

しものせき馬関まつり

釜山との交流に生きる旧称

現代のイベント名にも「馬関」は生きています。しものせき馬関まつりでは朝鮮通信使の行列が再現され、市の釜山交流のページには、2012年から2018年まで、釜山の副市長や市議会議長らが正使役として来関した記録が年ごとに並びます。2016年には釜山の市長も参加し、下関市国際親善名誉市民章を授与されています。釜山とは航路でも結ばれ、1970年に開設された関釜フェリーは日本初の国際定期フェリー航路です。

出典:釜山広域市との交流関釜フェリー

「関門」は何と何を合わせた言葉?

「関門」は、下関の旧名・馬関の「関」と、対岸・門司の「門」を合わせた呼び名です。海峡には馬関海峡、穴戸海峡などの別名もありました。

関門かんもん

馬関の「関」と門司の「門」

「関門」は、下関の旧名・馬関の「関」と、門司の「門」を合わせた言葉です(山口県観光連盟の説明)。海峡をはさむ両岸の町の名を一つに縫い合わせた、両岸をひとまとまりに呼ぶ言い方です。

出典:関門海峡

海峡の別名

馬関海峡・下関海峡・穴戸海峡

海峡そのものにも別名があり、事典は馬関海峡、下関海峡、穴戸(あなと)海峡を挙げます。「馬関海峡」は、馬関が下関の旧名として通用していた頃の呼び名です。

出典:関門海峡(事典項目)関門海峡

穴門あなと

古事記・日本書紀に記される古い国名

『古事記』『日本書紀』は、仲哀天皇と神功皇后が九州の熊襲平定のため滞在した宮を「穴門の豊浦宮」と記します。長府の忌宮神社は、その滞在地に斎宮を建てたのが起こりと伝わります。日本書紀には「宮室を穴門に興てて居します。是を穴門豊浦宮と謂す」とあります(日本歴史地名大系の引用)。「関門」の名が生まれるよりずっと前から、この辺りは「穴門」と呼ばれていました。

出典:忌宮神社 境内案内長府(事典項目)

関門を冠する名前

橋・トンネル・汽船・ワーフ

海峡の名は、今も暮らしのなかに顔を出します。関門橋は1973年(昭和48年)に開通した全長1,068mの吊り橋で、開通当時は東洋一の長さでした。関門トンネル、関門連絡船を運航する関門汽船も同じ名を冠しています。

出典:関門橋関門海峡Navi アクセス

ふく、くじらの街、西の浪華 ― 異名の由来

下関はふぐを「ふく」と呼び、かつては「くじらの街」、藩政時代には「西の浪華」と呼ばれる港でした。

ふくふく

福につながる呼び方

下関ふく連盟は、「ふぐは不遇に通じ、ふくは福すなわち幸福につながる、とされたから」濁らずに呼ぶのだと説明します。語源には、平安時代の辞書『和名類聚抄』に「布久(ふく)」の記載があることや、膨れる、ふくべ(ひょうたん)に似る、海底の餌を吹いて探す、といった説も挙げられています。山口県の観光キャッチフレーズは「おいでませ ふくの国、山口」、シンボルマークは「ふくだるま」です。

出典:下関ふく連盟について下関ふく山口の方言

くじらの街くじらのまち

近代捕鯨発祥の地とされた港

近代捕鯨発祥の地とされ、南氷洋捕鯨の基地だった時代から「くじらの街」と呼ばれました。戦後の下関では、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズの前身)や女性吹奏楽団「ペンギンシスターズ」が生まれています。

出典:くじらの街下関やまぐちのくじら 捕鯨の歴史

西の浪華にしのなにわ

藩政時代の呼び名

藩政時代の下関(赤間関)は、東北・北陸・九州・四国などの物産が集まり、出船千艘・入船千艘といわれた海運の盛況から「西の浪華」と呼ばれました。北前航路の要衝として「西の浪速」と称された活況は、春帆楼の沿革にも出てきます。「浪華」は大坂の古い雅称で、大坂の港と並べて語られるほどの町でした。この海運の賑わいを、長州藩は天保の改革で財源に結びつけました。下関を通る廻船相手の金融・倉庫業を行う「越荷方」を置き、藩外から収入を得る方向へ舵を切ったのです。

出典:市政の概要(略年表)春帆楼 沿革村田清風の生涯(下関越荷方の設置)

関の先帝、小倉の祇園せきのせんてい、こくらのぎおん

先帝祭にまつわる古い俗謡

「関の先帝、小倉の祇園、雨が降らねば金が降る」という俗謡があります。下関の先帝祭と対岸・小倉の祇園祭は、雨さえ降らなければ人出でにぎわい商売が繁盛する、という意味です。祭礼の日は数十万の人出で賑わったといいます。海峡の両岸が、祭りの名で並べて呼ばれていたのです。

出典:赤間神宮 先帝祭先帝祭(補助資料)

通称と正式名 ― 島、神社、温泉、商店街

巌流島は古名が船島、亀山八幡宮は「関の氏神さま」、川棚温泉は「奥座敷」、駅前の商店街は「リトル釜山」と呼ばれています。

船島ふなしま

巌流島の古い呼び名

巌流島は古来「船島」と呼ばれ、明治初期は彦島村の共有地でした。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘は1612年(慶長17年)とされ、小次郎の号(岩流/巌流)にちなんで巌流島と呼ばれるようになったといいます。ただし決闘は史料が乏しく、武蔵の『五輪書』にも記述がなく、詳細を伝える『二天記』は1755年の成立です。

出典:巌流島

亀山八幡宮かめやまはちまんぐう

「関の氏神さま」「亀山さま」

下関の中心部にあり、「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれる神社です。貞観元年(859)、宇佐から石清水へ八幡神を勧請する一行が、当時は島だったこの山の麓に停泊した夜、「この山は清浄で我もっとも愛す。しばらく祀ってから進むように」と神託があり、仮殿を造ったのが始まりと『防長社寺由来』に伝わります。

出典:亀山八幡宮 御由緒亀山八幡宮

奥座敷おくざしき

川棚温泉の呼び名

下関市の「奥座敷」と呼ばれるのが、下関港から北へ約25km、豊浦町にある川棚温泉です。市街地から少し離れた温泉地として、この呼び名で紹介されています。瓦そばの発祥の地でもあります。

出典:川棚温泉について瓦そば(広報誌aff)

リトル釜山

グリーンモール商店街のもうひとつの名

JR下関駅の北側に続くグリーンモール商店街は、焼肉や韓国食材の店、チマチョゴリの衣料品店などが並び、釜山の下町の雰囲気が漂うことから「リトル釜山」とも呼ばれます。山口県のコリアンタウンとして紹介され、駅から徒歩2分ほどです。

出典:グリーンモール商店街

山口弁 ― 下関だけでなく県全体の言葉として

「おいでませ」「ぶち」「〜ちょる」「はぶてる」は山口弁です。下関だけでなく、県全体で使われる言葉として紹介されています。

山口弁やまぐちべん

「おいでませ」と「ぶち」

山口県の駅や空港、看板、マンホールまで至るところで見かける「おいでませ」は、標準語の「いらっしゃい」にあたる歓迎の言葉です。「ぶち」は「とても・すごく」の意味で、「ぶち暑いっちゃ」のように日常会話に多く、方言と気づいていない県民もいます。比較的新しい方言で、「ぶち壊す」など荒々しい動作を表す言葉から派生したといわれます。

出典:山口の方言

〜ちょる、はぶてる

語尾と、子どもの頃に聞く言葉

「〜ちょる」は「〜ておる」が変化した語尾で、主に結果の状態を表し、進行は「〜よる」で表します。「花が散っちょる」は散ってしまった状態、「花が散りよる」は散っている最中です。県のPR本部長「ちょるる」の名前もこの語尾から来ています。「はぶてる」は拗ねる・いじけるの意味で、「はぶてんそっちゃ!」のように子どもの頃に言われる言葉です。

出典:山口の方言

下関なまり

トーキー映画で魅力になった土地の言葉

下関生まれの映画女優、田中絹代は、1931年に松竹初のオールトーキー映画『マダムと女房』に出演しました。心配されていた絹代の下関なまりが、かえって魅力となり評判になったそうです。土地の言葉が、そのまま持ち味になった一例です。

出典:田中絹代について

よくある質問

「関門」と「関門海峡」と「早鞆瀬戸」は、どう違うのですか。

ざっくり言えば、指す範囲の違いです。「関門」は海峡をはさむ両岸の町を合わせた地域の呼び名、「関門海峡」は本州と九州のあいだの水路そのもの、「早鞆瀬戸」はその水路が下関と門司のあいだでいちばん細くなる場所を指します。

「馬関」は何と読みますか。

「ばかん」です。赤間関を略した下関の古い呼び名で、「赤馬関」と書かれることもありました。

「先帝祭」の「先帝」とは誰のことですか。

壇ノ浦で入水した安徳天皇のことです。赤間神宮に祀られ、旧暦3月24日の命日を明治の改暦で新暦5月2日と定めて、その日から先帝祭が営まれます。

「ふく」と「ふぐ」、どちらが正しい呼び方ですか。

全国では「ふぐ」が一般的ですが、下関市も下関ふく連盟も「ふく」を使い、地理的表示(GI)の名も「下関ふく」です。どちらかが誤りというより、下関では縁起を担いだ言い方が公式の呼び名になっている、ということです。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記 / 編集・出典ポリシー

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