Q1. 沖縄が日本へ本土復帰したのは西暦何年?
- 1952年
- 1972年
- 1982年
- 1995年
ヒント: 米国統治が約27年続いた後
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正解1972年
1972年5月15日、沖縄は約27年間のアメリカ統治を経て日本に復帰した。返還協定は前年の1971年に調印され、この日、沖縄県が復活した。ただし、広大な米軍基地の多くは復帰後も沖縄に残された。

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はじめの10問は、沖縄の入り口。屋根の上から家を守る一対の像、旧盆の夜に響く太鼓、二千円札に描かれた門——見聞きしたことはあるはずの顔ぶれを、正面から尋ねます。日本復帰の年やかつての王国の名前など、沖縄の歴史と現代史の背骨も、まずこの段で押さえます。全問正解なら、沖縄の旅の案内役は十分。答えのあとの解説と出典で、「なぜ」までたどってください。
ヒント: 米国統治が約27年続いた後
正解1972年
1972年5月15日、沖縄は約27年間のアメリカ統治を経て日本に復帰した。返還協定は前年の1971年に調印され、この日、沖縄県が復活した。ただし、広大な米軍基地の多くは復帰後も沖縄に残された。
ヒント: 琉球王国の王城
正解首里城
首里城は琉球王国の政治・外交・文化の中心だった王城。沖縄戦で焼失したのち復元された正殿などが、2019年10月の火災で再び失われた。現在は工事の様子を公開する「見せる復興」を掲げて再建が進み、正殿は2026年秋の完成をめざしている。
ヒント: 雄雌の対で置かれることが多い
正解シーサー
シーサーは獅子を原型とする魔除けの像で、屋根の上や門柱、集落の入り口などに据えられる。家や店によって表情や姿もさまざまで、沖縄の暮らしのあちこちで見かける身近な守り神である。
ヒント: 熟成させたものは「古酒(クース)」と呼ばれる
正解泡盛
泡盛は日本最古級とされる蒸留酒。王国時代、その製造は首里三箇(鳥堀・崎山・赤田)と呼ばれる限られた地区だけに許されていた特産品だった。長く甕で寝かせた酒は「古酒(クース)」と呼ばれ、年月とともにまろやかさを増す。
出典:泡盛 - Wikipedia「首里の泡盛」を知ろう。琉球王国の時代、唯一泡盛製造が認められていた“首里三箇”とは?
ヒント: 「ゆい」は協働・助け合いの意
正解ゆいレール
「ゆいレール」こと沖縄都市モノレールは2003年に開業した、県内唯一の軌道系交通。2019年には終点がてだこ浦西まで延び、那覇空港から浦添までを結ぶ。愛称の「ゆい」は、助け合いを意味する沖縄の言葉「ゆいまーる」に由来する。
ヒント: 首里を都とし、独自の外交を展開した
正解琉球王国
三山(北山・中山・南山)を統一して成立したのが琉球王国。首里を都に、中国・日本・東南アジアを結ぶ中継貿易で栄え、自らを「万国津梁(世界の架け橋)」と称した。1879年の琉球処分まで、およそ450年続いた王国である。
ヒント: 青年会が地域を練り歩く
正解エイサー
エイサーは沖縄各地の青年会が中心となって踊り継ぐ伝統芸能で、太鼓を打ち鳴らしながら地域を練り歩くことを「道ジュネー」という。地域ごとに衣装や振り付けが異なり、夏の沖縄を代表する風物詩となっている。
ヒント: 「守礼之邦」の扁額を掲げる
正解守礼門
二千円札に描かれているのは首里城の守礼門。「守礼之邦(礼節を守る国)」の扁額を掲げる中国風の優美な門で、沖縄戦で失われたのち、1958年にいち早く復元された。礼節を重んじた王国の精神を、今に伝える門である。
ヒント: いわゆる「蕎麦」とは別物
正解○(正しい)
沖縄そばの麺はそば粉を使わず、小麦粉にかん水などを加えて打つ。だしは豚とかつお節が基本。1976年に「そば」の名称使用が問題となったが、交渉の末に「本場沖縄そば」の呼称が認められ、その日にちなむ10月17日は「沖縄そばの日」となった。
ヒント: 沖縄はクールビズ先進地とも呼ばれる
正解○(正しい)
かりゆしウェアは沖縄で仕立てられた沖縄らしさを表現する衣服で、ワイシャツ・ネクタイに代わる夏の正装として定着している。2007年のクールビズ開始時には全閣僚がかりゆしウェアを着用するなど、環境省のクールビズで着用できる服装としても認められている。
続く15問は、暮らしと風土の奥へ。王国の衣装を彩った染物、那覇の焼物の里、本島北部の森の呼び名——固有名詞が一気に増えます。難読地名の読み、島と橋の地理、基地の街の現在まで、守備範囲は広め。1609年に王国へ何が起きたか、という歴史の急所もここで問います。旅行で二、三度訪れたくらいでは、まだ全問は取れないはずです。
ヒント: 島津氏の藩
正解薩摩藩
1609年、島津氏の軍勢が琉球に侵攻し、首里城は開城した。以後の琉球は、薩摩の支配を受けながら中国への朝貢と冊封も続けるという「両属」の時代を生きることになる。王国の形は保たれたが、その交易と外交は薩摩の統制下に置かれた。
ヒント: 読みは「びんがた」
正解紅型
紅型は琉球王国時代に発展した型染めで、王族・士族の衣装に用いられた。一枚の型紙から、南国の光に負けない大胆な色と文様を染め上げる。国指定の伝統的工芸品「琉球びんがた」として、今も那覇などの工房で技が受け継がれている。
ヒント: 「やちむん通り」がある
正解壺屋
壺屋は1682年、琉球王府が各地に散らばっていた窯場を統合して生まれた焼物の町。壺屋焼は「やちむん」の名で親しまれ、やちむん通りには窯元や工房が並ぶ。都市化で薪窯がたきにくくなると、多くの陶工が読谷村へ窯を移した歴史もある。
ヒント: 世界自然遺産にも含まれる
正解やんばる(山原)
やんばる(山原)は沖縄本島北部、深い森が続く地域の呼び名。国内最大級の亜熱帯の森が残り、ここにしかいない生きものが数多くすむ。2016年にやんばる国立公園が生まれ、2021年には世界自然遺産の一部となった。
ヒント: 全長約3,540m
正解伊良部大橋
伊良部大橋は宮古島と伊良部島を結ぶ全長3,540mの橋で、2015年に開通した。通行無料の橋としては国内最長。橋の上からは「宮古ブルー」と呼ばれる海の青のグラデーションが広がり、渡ること自体がひとつの観光になっている。
ヒント: アメリカンビレッジで有名
正解ちゃたん
「北谷」は「ちゃたん」と読む。町域の多くを米軍基地が占めてきた歴史をもつ本島中部の町で、返還されたハンビー飛行場の跡地を再開発した美浜アメリカンビレッジは、観覧車が目印の商業タウンとして観光名所になった。
ヒント: 北山王の居城があった
正解なきじん
「今帰仁」は「なきじん」と読む。今帰仁城は三山時代の北山王の居城で、丘の上を城壁が優美な曲線を描いて囲む大城郭。世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産で、1月に咲くカンヒザクラの名所としても知られる。
ヒント: 本島北部の大宜味村などが産地
正解シークヮーサー
シークヮーサーは沖縄などに自生する在来の小さなかんきつで、和名はヒラミレモン。名は沖縄の言葉で「酸を食わせるもの」に由来するとされる。青切りの果汁は刺身や飲み物に絞られ、熟せば甘みも増して、そのまま食べられるようになる。
ヒント: 1957年に創業
正解オリオンビール
オリオンビールは1957年、戦後復興のさなかの沖縄で生まれたビール会社。名護市に主力工場を置き、以来、県内の食卓や祝いの席に欠かせない存在であり続けている。創業からまもなく70年、その名は沖縄の夏の代名詞でもある。
ヒント: 戦後の復興を象徴
正解国際通り
国際通りは県庁前から安里まで、およそ1.6kmの那覇の目抜き通り。名は戦後この地にあった映画館「アーニー・パイル国際劇場」に由来する。焼け野原からいち早く復興してにぎわったことから、「奇跡の1マイル」と呼ばれた。
ヒント: ギネス記録の綱を使う
正解那覇大綱挽
那覇大綱挽は毎年10月、東西あわせて全長約200m・総重量40tを超える巨大な綱を、東西に分かれて引き合う祭り。「世界一のわら綱」としてギネス認定された実績をもつ。引き終えた綱を少し持ち帰ると、縁起がよいとされている。
ヒント: 金武町が発祥の地とされる
正解タコライス
タコライスはタコスの具をご飯にのせた沖縄生まれの料理。1984年ごろ、基地の街・金武町の食堂が、ドル安で懐の寂しい米兵にボリュームのある一品をと考案したのが始まりとされる。いまや沖縄全域で愛される県民食に育った。
ヒント: 町名がそのまま基地名に
正解嘉手納町
嘉手納基地は総面積約2,000ha、極東最大級の米空軍基地で、3,700m級の滑走路を2本備える。その面積は嘉手納町の8割以上を占める。基地に隣接する「道の駅かでな」には、滑走路を一望できる屋上展望フロアがある。
ヒント: ヒルギ類が代表的
正解マングローブ
マングローブは、海水と淡水が混じる汽水域に育つ樹木の総称。呼吸のための根を泥に張り、魚や貝、鳥たちの揺りかごになる。西表島の仲間川流域には広大なマングローブ林が広がり、世界自然遺産に登録された島の自然を象徴している。
ヒント: 米軍施設の跡地に開業した
正解イオンモール沖縄ライカム
イオンモール沖縄ライカムは2015年4月、北中城村の米軍施設返還地に開業した大型商業施設で、県内最大級の売場面積を誇る。県内外から多くの買い物客が訪れる、沖縄の新しい生活・観光の拠点となっている。
最後の15問は、沖縄をもう一段深く。第二尚氏を開いた王、築城の名手と伝わる按司、王国最高の聖地の読み方——歴史と信仰の核心に踏み込みます。やんばるや西表の希少な生きもの、発酵の珍味、先祖と過ごす年中行事も並びます。アメリカ統治下の暮らしを問う設問には、この島が歩んだ時間の重さがにじみます。ここまで解ききれば、本番の検定でも上位の称号が狙えます。
ヒント: 1470年に即位
正解尚円王
尚円王は伊是名島の生まれで、即位前の名は金丸。第一尚氏の王に仕えて頭角を現し、1469年の政変を経て王位に就き、第二尚氏王統を開いた。この王統は明治初めの王国の終焉まで、約400年にわたって続くことになる。
ヒント: 琉球王国の終焉
正解琉球処分
明治政府は1872年に琉球王国を琉球藩とし、1879年には軍隊・警察を伴って首里城の明け渡しを迫り、沖縄県を設置した。この一連の措置が琉球処分である。最後の国王・尚泰は東京へ移され、約450年続いた王国は幕を閉じた。
ヒント: 勝連の阿麻和利と対立
正解護佐丸
護佐丸は15世紀の按司で、「築城の名手」と伝わる。座喜味城を築き、のちに王命で中城城へ移って勝連の阿麻和利に備えたが、1458年、その阿麻和利に攻められて自害したとされる。座喜味・中城の精緻な石積みに、その技が残る。
ヒント: 王国時代の国家的な祭祀の場
正解せーふぁうたき
斎場御嶽は「せーふぁうたき」と読む、琉球王国最高の聖地。最高神女・聞得大君の就任儀式「御新下り」が行われた国家的な祭祀の場で、巨岩が寄り合う三庫理(サングーイ)の空間で知られる。世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産である。
出典:UNESCO World Heritage Centre「Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu」斎場御嶽 - Wikipedia
ヒント: 中国・福建からの渡来人が暮らした
正解くにんだ
久米村(くにんだ)は、中国・福建から渡来した「閩人三十六姓」と呼ばれる人々が暮らした那覇の集落。外交文書の作成や通訳、航海術で王国の進貢貿易を支えた。孔子廟が置かれるなど、琉球における中国文化の窓口でもあった。
ヒント: 1981年に新種記載された
正解ヤンバルクイナ
ヤンバルクイナは沖縄島北部だけにすむ、ほとんど飛べないクイナ。1981年に新種として記載され、国の天然記念物となった。マングースや猫による捕食、交通事故が脅威で、飛べない鳥を守るための保護増殖と事故防止の取り組みが続いている。
ヒント: 1965年に発見された
正解イリオモテヤマネコ
イリオモテヤマネコは西表島だけにすむ野生のネコで、推定生息数は約100頭。1965年の発見は「20世紀最大の生物学的発見」とも騒がれた。国の特別天然記念物で、島では夜間の徐行や注意標識など、交通事故から守る取り組みが続いている。
ヒント: 五つと四つの四角い絣
正解ミンサー(ミンサー織)
八重山ミンサーは、五つと四つの絣を交互に織り出した木綿の帯。「いつ(五)の世(四)までも末永く」の想いを込め、かつて女性から男性へ贈られたと伝わる。藍を基調とした畝のある織地が特徴で、国の伝統的工芸品に指定されている。
ヒント: チーズのような風味
正解豆腐よう
豆腐ようは、島豆腐を米麹・紅麹と泡盛の漬け汁で長期間発酵・熟成させた珍味。中国の腐乳が琉球に伝わり、王朝の薬食・美食として独自に発展したとされる。チーズのような濃厚さで、爪楊枝で少しずつ削りながら泡盛の肴にする。
ヒント: 沖縄は消費量が多い
正解昆布
クーブイリチーの「クーブ」は昆布、「イリチー」は炒め煮のこと。細切り昆布を豚肉などと炒め煮にした料理で、祝いの席にも欠かせない。昆布がとれない沖縄で昆布料理が発達したのは、交易で昆布がもたらされた歴史ゆえとされる。
ヒント: 重箱を囲む「墓前のピクニック」とも
正解清明祭(シーミー)
清明祭(シーミー)は、二十四節気の清明のころに一族が墓前に集う先祖供養の行事。中国から伝わり、1768年に首里王府が毎年行うことを定めてから広く根づいたとされる。重箱料理を墓前に供え、そのお下がりを皆で囲む、明るい春の一日である。
出典:清明祭(せいめいさい)
ヒント: 母の胎内を表すとも
正解亀甲墓
亀甲墓は、屋根が亀の甲のように丸い沖縄独特の墓。その形は母の胎内をかたどったといわれ、人は死して母胎に還るという他界観を映すとされる。かつては士族にのみ許され、庶民に広まったのは明治以降。一族が眠る門中墓として大型のものが多い。
ヒント: 本土復帰記念の国家的イベント
正解通貨はドルが使われた/日本本土への渡航にパスポートが必要だった/自動車は右側通行だった
アメリカ統治下の沖縄では、通貨は当初のB円軍票から1958年にドルへ切り替えられ、本土との行き来にはパスポートにあたる渡航証明書が必要だった。車の右側通行が本土と同じ左側に戻ったのは復帰後の1978年7月30日、「730」と呼ばれる一斉切り替えでのことである。
正解沖縄本島 → 西表島 → 石垣島 → 宮古島
面積は沖縄本島(約1,208km²)>西表島(約290km²)>石垣島(約222km²)>宮古島(約159km²)の順。県都を擁する本島が突出して大きく、2位に開発の少ない西表島が入る。島の大きさと人口の多さが一致しないところが、沖縄の島々の面白さでもある。
出典:島面積 - 国土地理院