琉球王国の歴史入門 ── 三山統一から琉球処分まで

最終更新: 2026-06-22

三山時代を描いた架空のドット絵風景

海に開かれた小さな王国は、中国や日本、東南アジアを結ぶ交易で栄え、独自の文化を花ひらかせました。約450年の物語を、主役となった人物と転機になった出来事からたどります。

琉球王国の歴史は、争い・統一・繁栄・服属・終焉という大きな流れで捉えると見通しがよくなります。

ここでは時代の節目ごとに、鍵を握った人物と出来事を取り上げます。

王国を動かした人物と転機

三山時代さんざんじだい

14世紀/北山・中山・南山

統一前の沖縄本島は、北山・中山・南山という三つの勢力に分かれて争っていました。それぞれが中国(明)と交易し、競い合っていた時代です。

出典:首里城公園 公式(沖縄美ら島財団)

尚巴志しょうはし

1429年/三山を統一

中山の勢力を率いた尚巴志は、長い年月をかけて段階的に北山・南山を破り、1429年までに三山を一つにまとめたとされます。これが琉球王国の始まりで、その王統は第一尚氏と呼ばれます。

出典:沖縄県公式ホームページ

尚円王しょうえんおう

1470年/第二尚氏の祖

もとは金丸と名乗った人物で、政変を経て1470年に即位し、新たな王統(第二尚氏)を開きました。以後の国王はこの家系から続きます。

出典:首里城公園 公式(沖縄美ら島財団)

尚真王しょうしんおう

15〜16世紀/王国の最盛期

第二尚氏の三代目で、長い治世のあいだに地方の按司を首里へ集めて支配を固め、祭祀や身分の制度を整えました。王国の黄金期を築いた王とされます。

出典:首里城公園 公式(沖縄美ら島財団)

薩摩侵攻さつましんこう

1609年/島津氏の進攻

1609年、薩摩藩(島津氏)が兵を送って琉球を制圧しました。以後の王国は、中国へ朝貢しながら薩摩の支配も受けるという、二つに従う立場に置かれます。

出典:沖縄県公式ホームページ

琉球処分りゅうきゅうしょぶん

1879年/沖縄県の設置

明治政府は1879年、軍と警察を動かして琉球藩を廃し、沖縄県を置きました。これにより琉球王国は幕を閉じ、最後の国王・尚泰は東京へ移されました。

出典:沖縄県公式ホームページ

よくある質問

琉球王国はいつからいつまで続いたのですか?

三山が統一された1429年から、沖縄県が置かれた1879年までが目安です。およそ450年にわたって続きました。

なぜ中国と日本の両方に従っていたのですか?

1609年の薩摩侵攻のあとも、中国との朝貢貿易は大きな利益と権威をもたらしたため、王国は両方との関係を保つ道を選びました。これを日中両属といいます。

国王の名前がそろって「尚」なのはなぜですか?

「尚」は王家の姓にあたります。第一尚氏・第二尚氏という別々の家系がありますが、どちらも王統として「尚」を名乗りました。

琉球王国の都はどこでしたか?

首里(現在の那覇市首里)です。首里城を中心に、政治・外交・祭祀・芸能が営まれました。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

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