神戸の歴史 ── 平清盛と福原、源平の合戦をたどる
最終更新: 2026-06-25

貿易港として知られる神戸は、古代から海の要衝でした。平清盛が一時の都を置き、源平の合戦の舞台ともなった歴史を持ちます。
ここでは古代の港から幕末まで、神戸の歴史を彩るできごとと舞台を順にたどります。
清盛の事業、源平の合戦、楠木正成の最期、そして幕末の海軍まで、神戸は時代の転換点に立ち会いました。
港町・神戸の歴史の舞台
古代の港
神戸港の前身となる古代の港で、奈良時代に行基が修築したとも伝わる。のちに平清盛が日宋貿易の拠点として整えた。
出典:神戸市立博物館
福原京ふくはらきょう
1180年の遷都先
1180年、平清盛が現在の兵庫区あたりへ都を移した(福原遷都)。ほどなく京へ戻ったが、神戸が一時の都となった。
出典:神戸市 公式サイト
清盛の人工島
清盛が大輪田泊の風波を防ぐために築いたと伝わる人工島。経石を沈めた伝説から名がついたとされる。
出典:神戸市立博物館
1184年・源平合戦
1184年、源義経が鵯越の急坂を駆け下る奇襲を行ったと伝わる合戦。源平争乱の大きな転機となった。
出典:神戸市 公式サイト
1336年・楠木正成
1336年、楠木正成が足利尊氏らと戦い敗れた地。正成を祀る湊川神社は『楠公さん』と親しまれる。
出典:湊川神社 公式サイト
兵庫津と兵庫城ひょうごのつとひょうごじょう
中世〜近世の港町
大輪田泊の流れをくむ港町・兵庫津は北前船で栄え、1581年には池田氏が兵庫城を築いた。
出典:神戸市 公式サイト
1864年
1864年、勝海舟が中心となって設けた幕府の海軍教育機関。坂本龍馬らも関わったと伝わる。
出典:神戸市立博物館
よくある質問
神戸はなぜ平清盛と関係が深いの?
清盛は大輪田泊を整え、1180年には福原へ遷都するなど、神戸を日宋貿易と政治の拠点にしようとしたためです。
源平合戦の舞台は神戸のどこ?
一ノ谷の戦いの舞台は須磨〜長田あたりとされ、鵯越や敦盛塚(須磨浦公園)、須磨寺など、ゆかりの地が今も残ります。
出典・参考
※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。
執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記
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