Q1. 海の上に朱塗りの社殿と大鳥居が立つ、広島県の世界遺産の神社は?
- 出雲大社
- 厳島神社
- 住吉大社
- 春日大社
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正解厳島神社
嚴島神社は推古天皇元年(593)創建と伝わる古社で、平安時代末に平清盛が現在の規模の海上社殿を造営した。潮の満ち引きで表情を変える朱塗りの社殿と大鳥居が信仰と景観の核となり、1996年(平成8)に背後の弥山原始林とともに世界文化遺産へ登録された。

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まずは、広島の名刺代わりの10問から。海に立つ世界遺産の社、混ぜずに重ねるお好み焼き、市民とともに歩んできた球団——旅行や修学旅行で必ず出会う顔ぶれを、一歩だけ踏み込んで尋ねます。平和の記憶に関わる問いも含みますが、いずれも出典つきの解説で背景まで確かめられます。まずは肩ならしのつもりで、10問すべての正解を狙ってください。
正解厳島神社
嚴島神社は推古天皇元年(593)創建と伝わる古社で、平安時代末に平清盛が現在の規模の海上社殿を造営した。潮の満ち引きで表情を変える朱塗りの社殿と大鳥居が信仰と景観の核となり、1996年(平成8)に背後の弥山原始林とともに世界文化遺産へ登録された。
正解お好み焼き
広島のお好み焼きは、生地と具材を混ぜず、クレープ状の薄い生地にキャベツ・豚肉・そばなどを重ねて焼く「重ね焼き」が身上。ルーツは戦前の駄菓子「一銭洋食」とされ、戦後の食糧難の時代に具材を増やして一品料理へと進化し、市民の味として定着した。
正解広島東洋カープ
広島東洋カープは1950年(昭和25)、原爆からの復興のさなかに市民の熱意で誕生した球団。特定の親会社を持たず、経営難の際には市民が「樽募金」で球団を支えた逸話が残る。1968年から東洋工業(現マツダ)の創業家が経営に参画し、現在の球団名となった。
正解原爆ドーム
原爆ドームは、チェコの建築家ヤン・レツェルの設計で1915年(大正4)に完成した広島県物産陳列館(のちの産業奨励館)。1945年8月6日、爆心地のごく近くで被爆しながら全壊を免れ、核兵器の惨禍を伝える証人として1996年(平成8)に世界文化遺産へ登録された。
正解牡蠣(カキ)
広島湾のカキ養殖はおよそ450年の歴史を持つと伝わり、県の生産量は全国の約6割を占めて日本一。島影の多い穏やかな海と、川が運ぶ豊かな栄養が育成に適している。カキフライや土手鍋など、カキを主役にした食文化も広島には深く根づいている。
正解もみじ饅頭
もみじ饅頭は明治後期、宮島の菓子職人・高津常助が名所・紅葉谷にちなんで考案したと伝わるカステラ生地の焼き菓子。定番のこしあんからクリームやチーズまで中身の種類が広がり、島内外の多くの店が味を競う、広島土産の代名詞となっている。
正解しまなみ海道
西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)は尾道市と今治市を島づたいに結ぶ全長約60kmのルートで、1999年(平成11)に全ての橋が完成した。本州四国連絡道路で唯一、自転車歩行者道が併設され、瀬戸内の多島美を望むサイクリングコースとして世界的に知られる。
正解モミジ
モミジは1966年(昭和41)、県民の投票を踏まえて広島県の県木に制定された。県花もモミジで、木と花の両方に同じ植物を掲げる全国でも珍しい県である。秋には宮島・紅葉谷をはじめ、県内各地の渓谷や社寺が紅葉に染まる。
正解太田川
太田川は中国山地から広島湾へ注ぐ一級河川で、河口部に運んだ土砂が三角州をつくり、広島市街の土台となった。市中心部には放水路を含む6本の川筋が流れ、広島が「水の都」と呼ばれるゆえん。洪水対策の要となる太田川放水路は1967年(昭和42)に完成した。
正解○(正しい)
広島県はレモンの国内生産量日本一で、全国シェアのおよそ半分を占める。温暖で雨の少ない瀬戸内の島しょ部が栽培に適し、尾道市や呉市の島々が主産地。皮まで使える「瀬戸内 広島レモン」のブランドで、菓子や調味料への展開も盛んだ。
続いては、広島県人でも意見が割れる15問。戦艦大和を建造した軍港のまち、三大銘醸地に数えられる酒どころ、化粧筆で世界に知られる筆の町——県内各地へ視野を広げます。8月6日の式典など、静かに向き合いたい問いもここに置きました。土地勘のある人は地図を、歴史好きは年表を手がかりに。歩いて知った記憶が、そのまま力になります。
正解呉市
呉は1889年(明治22)に旧海軍の鎮守府が置かれて以来、海軍工廠とともに発展した軍港都市。戦艦大和も呉海軍工廠で極秘裏に建造された。戦後はその技術を受け継ぎ、大型タンカーなどを生む造船のまちとして再生した。
正解西条
西条は明治期に酒造業が花開いた東広島市の酒どころで、灘・伏見と並び「日本三大銘醸地」に数えられる。JR西条駅周辺の酒蔵通りには白壁の蔵と赤レンガの煙突が連なり、秋には酒まつりが開かれる。仕込みに適した水と冷涼な内陸の気候が酒質を支える。
出典:西条酒蔵通り(東広島市)
正解熊野町
安芸郡熊野町は江戸末期から筆づくりが根づいた「筆の都」で、毛筆・画筆・化粧筆を合わせた生産量は全国シェアの8割超を誇る。熊野筆は国の伝統的工芸品に指定され、特に化粧筆は世界のメイクアップアーティストからも指名される品質で知られる。
出典:筆の里工房(熊野筆)
正解大和ミュージアム
大和ミュージアムの正式名称は呉市海事歴史科学館。2005年(平成17)の開館で、シンボルの10分の1スケール戦艦大和(全長26.3m)のほか、零式艦上戦闘機などの実物資料を展示し、軍港・呉の歩みと造船技術の歴史を伝えている。
正解尾道ラーメン
尾道ラーメンは、鶏ガラと瀬戸内の小魚でとった醤油スープに豚の背脂ミンチを浮かべ、平打ちの中細麺を合わせるのが典型。戦後間もない屋台に源流を持つ尾道の中華そばが、1990年代に「尾道ラーメン」の名で全国に広まったとされる。
正解汁なし担々麺
汁なし担担麺は、2001年(平成13)創業の「きさく」を元祖として広島市で広まったご当地麺。少量の辛だれと花椒を麺によく絡め、混ぜてから食べるのが流儀で、唐辛子の辛さと花椒の痺れの重なりが持ち味。2010年前後から専門店が急増し、新名物に育った。
正解ヘラ
広島のお好み焼きは、客が鉄板を囲んで座り、焼き上がったものを鉄板の上に置いたまま小型のヘラで一口大に切り分けて食べるのが基本のスタイル。ヘラは広島や東京での呼び方で、大阪では「テコ」「コテ」とも呼ばれる。屋台発祥の店が多かったため、鉄板の上で食べることで洗い物や割り箸の消費を減らせたことも、この習慣が根づいた理由とされる。
正解竹原市
竹原は江戸時代前期に始まる塩田と酒造で栄えた町で、豪商の屋敷や寺が残る町並みは1982年(昭和57)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。京都・下鴨神社の荘園として開けた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれる。
正解しまなみ海道サイクリングロード
しまなみ海道サイクリングロードは、広島県尾道市のJR尾道駅から愛媛県今治市のサンライズ糸山までを結ぶ全長70kmのコースで、瀬戸内海を横断する日本初のサイクリングルートとされる。国土交通省の「ナショナルサイクルルート」に指定されており、瀬戸内海の多島美を望む絶景ルートとして国内外のサイクリストから注目を集めている。
正解鞆の浦
鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、潮の流れが変わるのを待つ「潮待ちの港」として万葉の昔から栄えた。江戸期の常夜燈や雁木などの港湾遺構がまとまって残るのは全国でも貴重で、いろは丸事件の談判の地、『崖の上のポニョ』の構想地としても知られる。
正解サンフレッチェ広島
サンフレッチェは日本語の「三」とイタリア語の「フレッチェ(矢)」を合わせた造語で、毛利元就が三人の子に結束を説いた「三本の矢」の故事に由来する。前身は東洋工業(現マツダ)のサッカー部で、Jリーグ発足時からの「オリジナル10」の一つでもある。
正解神楽
広島県北部に伝わる神楽は、島根県の石見神楽の流れをくみ、戦後に演劇性を高めた「新舞」が生まれて発展した。きらびやかな衣装と面の早替わり、大蛇退治などの演目で観客を沸かせ、安芸高田市には神楽専用の劇場「神楽ドーム」もある。
正解広島電鉄
広島電鉄は1912年(明治45)開業の路面電車を核とする私鉄で、軌道の路線網は日本最大級。全国の都市から譲り受けた車両が今も現役で走ることから「動く電車の博物館」と呼ばれる。被爆をくぐり抜けた「被爆電車」も現在まで運行され続けている。
正解平和記念式典
平和記念式典の正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」。毎年8月6日に平和記念公園の原爆死没者慰霊碑前で営まれ、原爆投下時刻の午前8時15分に参列者が1分間の黙とうを捧げる。市長が読み上げる平和宣言は世界へ向けて発信される。
正解中国・四国地方でも最大級のアーケード商店街
本通商店街は広島PARCOから平和記念公園近くまで東西に続くアーケード商店街で、その全長は中国・四国地方でも最大級とされる。世代を超えて日常の買い物客でにぎわう生活密着型の商店街でもある。
出典:広島本通商店街本通商店街(広島商工会議所)
仕上げは、広島通への関門となる15問。広島城を築いた大名、尾道が生んだ作家と映画監督、マツダのものづくりの原点——本で言えば脚注にあたる知識を問います。しまなみ海道の島々の並びや、瀬戸内の島に残る戦争の記憶など、地図と年表を行き来する問いも交じります。ここを越えれば、本番の検定でも上位の称号が見えてくるはずです。
正解毛利輝元
毛利輝元は1589年(天正17)、祖父・元就以来の山城である吉田郡山城を離れ、太田川デルタの地に新たな城の建設を始めた。大坂城や聚楽第に学んだ近世城郭で、城下は「広島」と名づけられ、今日に続く都市の礎となった。
正解浅野氏
1619年(元和5)に福島正則が改易されると、紀州から浅野長晟が入り、以後約250年・12代にわたり浅野氏が広島藩を治めた。長晟が築かせた別邸庭園の縮景園をはじめ、歴代藩主の城下町整備が今の広島の骨格をつくった。
正解寝殿造
平清盛は1168年(仁安3)ごろ、平安貴族の邸宅にならった寝殿造の様式で嚴島神社の海上社殿を造営した。海を庭に見立て、回廊で社殿群を結ぶ構成は平家の美意識の結晶とされ、社殿の多くが国宝・重要文化財に指定されている。
正解林芙美子
林芙美子は13歳から19歳までの多感な時期を尾道で過ごし、女学校時代に文才を育んだ。自伝的小説『放浪記』には尾道の海と坂の風景が刻まれ、市内には旧居跡や「文学のこみち」の文学碑など、ゆかりの場所が残されている。
正解大林宣彦
大林宣彦は尾道出身の映画監督で、故郷を舞台に『転校生』(1982)、『時をかける少女』(1983)、『さびしんぼう』(1985)のいわゆる「尾道三部作」を撮った。坂道や路地、渡船といった日常の風景が全国のファンを呼び、尾道を「映画の街」として定着させた。
正解衣笠祥雄
衣笠祥雄は1970〜80年代のカープ黄金期を支えた内野手で、1987年に連続試合出場の世界記録(当時)を達成して「鉄人」と呼ばれ、同年に国民栄誉賞を受賞した。連続出場は2215試合まで伸び、背番号3はカープの永久欠番となっている。
正解はつかいち
廿日市は「はつかいち」と読み、「廿」は二十を表す漢字。鎌倉時代、厳島神社の対岸のこの地で毎月20日に市が立ったことに由来する。神社の造営や修理を担う職人・商人の集散地として栄え、現在は宮島そのものを市域に含む市の名になっている。
正解ロータリーエンジン
マツダ(当時は東洋工業)は、独NSU社が開発したバンケル型ロータリーエンジンの実用化に挑み、1967年(昭和42)発売のコスモスポーツで世界初の2ローター量産車を実現した。回転運動で動力を生む独自の機構は、広島のものづくりの象徴となった。
正解生口島
尾道市瀬戸田町は生口島と隣の高根島からなり、しまなみ海道が生口島を通る。温暖で日当たりのよい段々畑はレモン栽培の適地で、瀬戸田地区は国産レモンの代表的な産地として知られ、「瀬戸内 広島レモン」のブランドを支えている。
正解三段峡
三段峡は太田川水系の柴木川に刻まれた約16kmの峡谷で、1953年(昭和28)に国の特別名勝に指定された。黒淵・猿飛・二段滝・三段滝・三ツ滝の「五大壮観」で知られ、峡谷としての特別名勝指定は全国でも数えるほどしかない。
正解毒ガス
大久野島には昭和初期から旧陸軍の毒ガス製造工場が置かれ、機密保持のため地図から消された時期もあった。戦後は「ウサギの島」として親しまれる観光地となったが、島の毒ガス資料館が製造の実態とその歴史を静かに伝え、平和学習の場ともなっている。
正解紀州藩
1867年(慶応3)、龍馬率いる海援隊が運航した「いろは丸」は、瀬戸内海で紀州藩の軍艦「明光丸」と衝突し沈没した。談判はまず鞆の浦で行われ、決着は長崎に持ち越されて紀州藩が賠償金を支払った。鞆には談判跡などゆかりの地が残る。
出典:坂本龍馬と鞆(福山市)
正解天橋立
日本三景は宮島(広島)・松島(宮城)・天橋立(京都)。江戸前期の儒学者・林春斎が著書『日本国事跡考』で三つの景勝を特筆したのが起源とされる。いずれも海の景観で、宮島は嚴島神社と弥山を望む海上の眺めが古くから詩歌に詠まれてきた。
正解向島 → 因島 → 生口島
しまなみ海道は尾道側から向島→因島→生口島と広島県側の島を渡り、多々羅大橋で愛媛県の大三島へ続く。島と島の間は因島大橋・生口橋などそれぞれ形式の異なる橋で結ばれ、橋梁美の博覧会とも呼ばれる連なりが見どころになっている。
正解3回
カープの日本一は1979年・1980年・1984年の3回で、いずれも古葉竹識監督の時代。1975年の初優勝に始まる「赤ヘル」黄金期の頂点だった。リーグ優勝は2016年からの3連覇を含めて9回を数える。