長崎市を歩く:食と港の暮らし

公開日:2026-09-03 / 最終更新:2026-09-03

長崎新地中華街を描いた架空のドット絵風景

長崎の食卓には、江戸時代の交易と近代の造船の両方が影を落としている。中華街の甘味と麺、そして港で働いた人たちの胃袋を満たした一皿ずつを、成立した年代や人物から見ていく。

長崎市の食文化は「南蛮」「唐」「和」の三つの系統が混ざり合ってできている。カステラのようにポルトガル人が持ち込んだ菓子もあれば、ちゃんぽんのように来日した中国人留学生のために考案された料理もある。

この記事では長崎新地中華街、カステラ、長崎ちゃんぽん、皿うどん、角煮まんじゅう、三菱長崎造船所、崇福寺、興福寺という8つの固有名詞について、成立年代や創業者、老舗の名前まで具体的に確認していく。

食と港の暮らし:長崎新地中華街とカステラ

長崎新地中華街は江戸時代の埋立地に唐人屋敷の住民が移り住んでできた街、カステラは16世紀にポルトガル人が伝えた南蛮菓子が起源という、成立の経緯が異なる二つの名詞です。

長崎新地中華街

江戸時代の埋立地に起源を持つ中華街

新地中華街がある一帯は、もとは「新地蔵」と呼ばれた江戸時代の埋立地だった。鎖国下で外国人の居住を唐人屋敷に限っていた長崎だが、屋敷が手狭になると中国人はこの新地蔵の周辺にも住むようになり、やがて中華料理店や中華食材の店が並ぶ街へと育っていった。現在は横浜中華街、神戸南京町とあわせて「日本三大中華街」の一つに数えられている。

出典:長崎新地中華街(ながさき旅ネット)

カステラ

ポルトガル伝来の南蛮菓子

カステラの原形は、16世紀にポルトガル人が長崎に持ち込んだ「パン・デ・ロー」という菓子だとされる。以来、卵と小麦粉、砂糖を使う製法が長崎の菓子屋に受け継がれ、寛永元年(1624年)創業の福砂屋、天和元年(1681年)創業の松翁軒など、今も続く老舗を生んだ。同じ長崎の名物でも、新地中華街が街そのものの名であるのに対し、カステラは一つの商品名である点が異なる。

出典:カステラ(ながさき旅ネット)

食と港の暮らし:長崎ちゃんぽんと皿うどん

長崎ちゃんぽんは豚骨と鶏がらの白濁スープに太麺を合わせた料理、皿うどんは同じ具材をあんとして太麺または細い揚げ麺にかける料理で、スープの有無が見分け方になります。

長崎ちゃんぽん

明治期に考案された長崎の麺料理

ちゃんぽんは明治32年(1899年)に創業した中華料理店「四海楼」の初代・陳平順が、来日した中国人留学生のために安くて栄養のある料理をと考案したのが始まりとされる。豚骨や鶏がらでとった白濁したスープに、魚介や野菜など具だくさんの太麺を合わせるのが特徴で、一杯で一食分の栄養が取れるよう工夫されている。

出典:中華料理(ちゃんぽん・皿うどん)(ながさき旅ネット)

皿うどん

ちゃんぽんから派生した揚げ麺料理

皿うどんは、ちゃんぽんと同じ四海楼の系譜で生まれたとされる料理で、具材とスープを少なめのあんに仕立て、太い麺または細く揚げた麺にかけて食べる。名前に「うどん」とあるがうどん粉を使うわけではなく中華麺を使う点はちゃんぽんと共通しており、麺を揚げてパリパリの食感にするか、太麺でやわらかく仕上げるかは店によって分かれる。

出典:中華料理(ちゃんぽん・皿うどん)(ながさき旅ネット)

食と港の暮らし:角煮まんじゅうと三菱長崎造船所

角煮まんじゅうは卓袱料理の豚の角煮を中華まん生地で挟んだ食べ歩きグルメ、三菱長崎造船所は幕末の長崎製鉄所を起源とする造船所です。

角煮まんじゅう

卓袱料理由来の食べ歩きグルメ

角煮まんじゅうは、長崎の卓袱料理でふるまわれる豚の角煮を、ふかふかの中華まん生地ではさんだ食べ歩き向けの一品。岩崎本舗など複数の店が名物として売り出しており、観光客が新地中華街や眼鏡橋周辺を歩きながら手軽に味わえるグルメとして定着している。

出典:角煮まんじゅう(ながさき旅ネット特集)

三菱長崎造船所

幕末の長崎製鉄所を起源とする造船所

三菱長崎造船所の始まりは、安政4年(1857年)に江戸幕府が設けた長崎製鉄所にさかのぼる。明治17年(1884年)に三菱がこれを借り受けて経営を引き継ぎ、以後は日本を代表する造船所として発展した。太平洋戦争中の昭和17年(1942年)にはこの造船所で戦艦「武蔵」を建造しており、2015年には関連施設が世界遺産の構成資産となった。

出典:三菱長崎造船所・近代化遺産(長崎市公式観光)

食と港の暮らし:崇福寺と興福寺

崇福寺は1629年に福建省出身の華僑が建てた唐寺、興福寺は1620年創建で日本最初の唐寺かつ日本黄檗宗発祥の地です。

崇福寺

福建出身の華僑が建てた唐寺

崇福寺は寛永6年(1629年)、福建省出身の華僑たちが故郷の様式で建てた唐寺(黄檗宗の寺院)である。中国から資材や工人を招いて建てられた大雄宝殿と三門はともに国宝に指定されており、朱塗りの意匠に華南の建築様式が色濃く残る。

出典:崇福寺(ながさき旅ネット)

興福寺

日本最初の唐寺、日本黄檗宗発祥の地

興福寺は元和6年(1620年)の創建で、崇福寺よりも早く建てられた日本最初の唐寺とされる。承応3年(1654年)には中国僧・隠元隆琦がこの寺に渡来し、その後日本に黄檗宗を広めていったことから、興福寺は日本における黄檗宗発祥の地と位置づけられている。

出典:興福寺(ながさき旅ネット)

よくある質問

長崎市でこのテーマを歩く順番は?

新地中華街でちゃんぽんや角煮まんじゅうを味わい、そこから少し足を延ばして崇福寺・興福寺の唐寺を訪ねると、中国から伝わった食と信仰のつながりを一度に体感できる。

固有名詞は丸暗記した方がよいですか?

ちゃんぽんと皿うどんのように似た名前が並ぶ場合は、スープがあるかないかという一点だけでも先に押さえておくと、その場で答えを引き出しやすくなる。

出典はどこを見ればよいですか?

各項目の末尾に長崎県観光連盟や長崎市公式観光サイトなど一次情報のリンクを付けている。老舗の営業時間や造船所見学の可否は、訪問前に必ず公式ページで確認してほしい。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記 / 編集・出典ポリシー

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