長崎市を歩く:港と坂の町

長崎の市街地は、港に向かって下る坂と、その坂を縫って走る路面電車でできている。開港から160年余りのあいだに積み重なった地名の由来を、一つずつ確かめていく。
安政6年(1859年)、長崎港は横浜・函館とともに開かれた「安政五港」の一つとなり、以後の長崎は港を中心に街が広がっていった。外国人居留地だった南山手・東山手、そこを走る路面電車、遊郭へ渡る橋の名残である思案橋など、地名の多くはこの時期の記憶を今に伝えている。
この記事では長崎港、路面電車、思案橋、南山手、東山手、オランダ坂、長崎街道、坂の町という8つの固有名詞について、開港の年や保存地区の選定年など、確認できる事実を軸に解説する。
港と坂の町:長崎港と路面電車
長崎港は1859年に横浜・函館とともに開かれた港、路面電車は1915年に開業した長崎電気軌道の電車で、開設された時代が半世紀以上異なります。
長崎港
長崎港は安政6年(1859年)、横浜・函館とともに幕府が開いた「安政五港」の一つとして開港した。以来、長崎市の市街地と離島、そして海外航路を結ぶ拠点として機能しており、現在は松が枝国際ターミナルにクルーズ船が寄港する港としても知られている。
路面電車
長崎の路面電車は大正4年(1915年)、長崎電気軌道によって開業した。均一運賃で乗車できることで知られ、原爆投下時に被爆した電車が今も動態保存されており、毎年8月9日には特別に運行されている。開港から半世紀以上を経て市街地に敷かれた路線であり、長崎港よりずっと新しい存在だ。
港と坂の町:思案橋と南山手
思案橋は丸山遊郭へ渡る前に思案したことに由来する橋の名残、南山手は1859年の開港後に整備された外国人居留地です。
思案橋
思案橋という名前は、遊郭・丸山へ渡ろうかどうか「思案する」ことからついたと伝わる。橋そのものは現存しないが、その名は今も繁華街の呼び名として残り、長崎市中心部の飲食店街を指す地名として使われ続けている。
港と坂の町:東山手とオランダ坂
東山手は南山手と並ぶ外国人居留地の跡、オランダ坂はその東山手にある石畳の坂道の通称です。
東山手
東山手も南山手と同様、安政の開港後に整備された外国人居留地の跡で、東山手洋風住宅群として知られる洋風住宅7棟が現存している。南山手と同じ平成3年(1991年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、この地区の中をオランダ坂が通っている。
オランダ坂
オランダ坂は東山手に残る石畳の坂道の通称で、開国当時の日本人が国籍を問わず西洋人を「オランダさん」と呼んでいた名残だとされる。特定の一本の坂だけを指すのではなく、東山手一帯の石畳の坂道が総称としてこう呼ばれている。
港と坂の町:長崎街道と坂の町
長崎街道は長崎と小倉を結ぶ約228キロの脇街道、坂の町は平地が少なく市街地が斜面に広がる長崎の地形を指す呼び名です。
長崎街道
長崎街道は長崎から小倉までおよそ228キロ(57里)を結んだ脇街道で、出島を経由して入ってきた砂糖などの海外の文物がこの道を通って各地に運ばれた。砂糖が盛んに行き交ったことから「シュガーロード」の愛称でも呼ばれている。
坂の町
坂の町という呼び名は、平地が少なく市街地の多くが斜面に広がっている長崎の地形そのものを表している。長崎街道のような特定の道の名ではなく、路面電車の線路と坂道、石段が入り組む長崎の暮らし方全体を指す言葉として使われる。
よくある質問
長崎市でこのテーマを歩く順番は?
長崎港のそばから路面電車に乗り、思案橋で降りて南山手・東山手の坂を上ると、開港から現代まで続く港町の広がり方を体感しやすい。
固有名詞は丸暗記した方がよいですか?
南山手と東山手のように似た名前が並ぶ場合は、どちらも1991年に保存地区に選ばれた旧居留地だという共通点より先に、東山手にオランダ坂が通っているという違いを覚えておくと区別しやすい。
出典はどこを見ればよいですか?
各項目の末尾に長崎市や長崎電気軌道、長崎県観光連盟など一次情報のリンクを付けている。運行情報や公開時間は訪問前に公式ページで確認してほしい。