飛騨の匠とは?さんまちの町家と一位一刀彫の技

飛騨高山の町並みや工芸を語るときに欠かせないのが「飛騨の匠」です。律令時代から続く木工の伝統は、さんまちの町家建築や根付彫刻にまで生き続けています。その歴史と、今に伝わる技を出典つきでたどります。
律令時代、飛騨国は税の代わりに木工技術者「飛騨匠」を都へ派遣する特別な制度の対象でした。この木工の伝統が、「飛騨の匠」として今も語り継がれています。
その技は、さんまちに残る町家建築や、一位一刀彫といった伝統工芸にも生き続けています。国の重要文化財に指定された町家建築を中心に、匠の技の広がりを見ていきます。
飛騨の匠 ― 律令時代からの木工の伝統
飛騨匠(ひだのたくみ)ひだのたくみ
律令時代の税制度のもとで、飛騨国は標準的な税(租・庸・調)の代わりに、木工技術者を都へ派遣するという特別な扱いを受けていました。この制度によって都へ送られた木工技術者が「飛騨匠」と呼ばれ、その技術と誇りは「飛騨の匠」として現代にも語り継がれています。
さんまちに残る町家建築
日下部家住宅(日下部民藝館)くさかべけじゅうたく
日下部家住宅の主屋は明治12年(1879)、飛騨の名工・川尻治助によって建てられました。桁行17.4m、梁間17.3mという規模を持つ木造一部二階の大型町家建築で、整然としながら躍動美のある梁組が特徴です。吉島家住宅とともに、昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されました。
吉島家住宅よしじまけじゅうたく
隣接する吉島家住宅の主屋は明治40年(1907)の建築で、日下部家住宅より約30年後にあたります。吹抜け部分に組まれた梁と小屋組が見事で、洗練された町家の手法を示しています。両家はいずれも商家(町家)で、武家屋敷ではありません。
工芸に生きる匠の技
一位一刀彫(いちいいっとうぼり)いちいいっとうぼり
一位一刀彫は、江戸末期に高山出身の根付彫刻師・平田亮朝と松田亮長らによって発展した伝統工芸です。一位(イチイ)の木を彫刻刀のみで仕上げ、着色を施さないのが特徴で、木の色合いや木目そのものを活かした素朴な味わいが持ち味です。
出典:一位一刀彫|高山市
飛騨高山まちの博物館ひだたかやままちのはくぶつかん
飛騨高山まちの博物館は、高山の代表的な商家が使っていた土蔵をそのまま展示場として活用している点が特徴です。円空仏や一位一刀彫・春慶塗などの美術工芸品に加え、高山城主・金森氏や飛騨の匠、酒造、高山祭に関する資料まで、高山の歴史と文化を幅広く紹介しています。
出典:飛騨高山まちの博物館
よくある質問
「飛騨の匠」とはどんな人たちのことですか?
米や布などの現物税を納める代わりに腕そのものを国へ差し出した、いわば技能で納税した人々です。他国の農民が収穫物を送るところを、飛騨は職人を送った点が特異で、その特別扱いが誇りの起点になったとされます。
日下部家住宅と吉島家住宅はどう違うのですか?
どちらも高山を代表する町家建築で、隣接して立地し、ともに国の重要文化財です。建てられた年代が異なり、日下部家住宅が明治12年(1879)、吉島家住宅は明治40年(1907)と、約30年の差があります。