高山の歴史とは?金森氏の城下町から天領・高山陣屋まで

いまの高山の町並みの骨格をつくったのは、戦国から江戸初期にかけて飛騨を治めた金森氏です。その後、飛騨は幕府の直轄領「天領」となり、高山陣屋が置かれました。城下町から天領へ移り変わる高山の歴史を、出典つきでたどります。
高山城を築き、いまの町並みの土台をつくったのが金森長近です。天正13年(1585)の飛騨攻めで功を挙げ、豊臣秀吉から飛騨一国を与えられました。
金森氏の統治は6代続きましたが、元禄5年(1692)、飛騨は幕府の直轄領「天領」となります。以来、幕府から派遣された代官・郡代がこの地を治め、その政務の場が高山陣屋でした。
金森長近と高山城下町
金森長近(かなもりながちか)かなもりながちか
金森長近は、天正13年(1585)の飛騨攻めで功を挙げ、豊臣秀吉から飛騨一国を与えられました。翌天正14年(1586)には飛騨一国3万3000石の国主として封じられ、高山城を築いて城下町を整備しました。もとは織田信秀・信長に仕えた武将で、慶長13年(1608)、京都伏見で84歳の生涯を終えています。
出典:高山の歴史|高山市
商人重視の城下町設計
全国の城下町は平均して武家地7割・町人地3割の比率で作られたとされますが、高山では商人の経済力を重視し、町人地を武家地の約1.2倍の広さで配置しました。武家地は城郭下方の高台に、町人地はその西側の宮川沿いに置かれ、寺院群は武家地東側の山裾に配置されて防衛拠点も兼ねたといわれます。
高山城の16年
高山城は天正16年(1588)に築城が始まり、慶長5年(1600)に本丸・二之丸が完成、金森可重による三之丸築造を経て慶長8年(1603)に全体が完成しました。完成までに16年を要した大規模な築城事業でしたが、後に幕府の命により破却されています。
出典:高山城跡|高山市
天領への移り変わり
金森頼旹の転封と天領化かなもりよりとき
金森長近から可重・重頼と代を重ねた金森家ですが、元禄5年(1692)7月、6代目の金森頼旹は出羽国上山藩へ転封となりました。これにより飛騨国は、森林・鉱山資源を幕府が直轄支配するための「天領」となります。
飛騨代官から飛騨郡代へ
天領化後の飛騨は、当初は代官(合計11代)が統治しましたが、安永6年(1777)に郡代へ格上げされ、明治維新までに14代の郡代が派遣されました(代官と合わせて計25代)。この代官・郡代が政務を執った場所が、現在も残る高山陣屋です。
高山陣屋 ― 全国唯一の現存する代官所
全国で唯一、建物が現存
江戸時代、全国に50カ所余りあった代官所・郡代役所のうち、建物が現存する例は高山陣屋が全国で唯一とされています。岐阜県により昭和45年(1970)から平成7年(1995)にかけて3段階の復元整備事業が行われ、江戸時代の姿がほぼ再現されました。
よくある質問
金森氏の統治は何代続いたのですか?
6代です。転封という形での幕引きだったため、お家取り潰しのような処罰ではありませんでしたが、結果として飛騨に金森家の子孫が藩主として残ることはなく、統治は完全に幕府の手に移りました。
高山陣屋が全国唯一とされる理由は何ですか?
江戸時代、全国には代官所・郡代役所が50カ所余りありましたが、そのほとんどは建物が失われています。高山陣屋は、そうした建物が現存する全国で唯一の例とされ、岐阜県による復元整備事業を経て、江戸時代の姿を今に伝えています。