諏訪大社四社と御柱祭―山と里を結ぶ仕組み

諏訪大社は一つの社殿ではなく、盆地に散らばる四つの宮からなります。
諏訪大社は、上社の本宮・前宮と、下社の春宮・秋宮という四つの宮からなる神社です。諏訪地方の通史はここでは扱わず、四社がどのような位置関係で結びつき、七年に一度の御柱祭がその結びつきをどう可視化しているかに絞って見ていきます。
御柱祭は山出し・里曳きの荒々しい場面ばかりが伝えられがちですが、本来は千人を超える氏子が力を合わせて木を曳く、地域社会の仕組みそのものです。危険な一場面だけでなく、その仕組み全体を追います。
四社という仕組み―上社と下社、二対の宮
上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮という組み合わせで、四社とも本殿を持たず自然そのものを御神体とします。
上社本宮・前宮
上社は本宮(諏訪市)と前宮(茅野市)の二社からなります。前宮は諏訪信仰の発祥地とも伝えられる古い聖地で、本宮は上社の中心として大きな社殿群を備えています。二社は約2キロメートル離れており、一つの「上社」という括りの中に、起源の地とその後に整えられた中心地という、時期の異なる二つの顔があることになります。
下社春宮・秋宮
下社は春宮と秋宮の二社からなり、どちらも下諏訪町内にあります。春宮の御神木は杉、秋宮の御神木はイチイと、隣り合う二社でも祈りの対象とする木が異なっており、同じ「下社」という呼び名の内側にも、それぞれ固有の信仰の形が保たれていることがわかります。
出典:諏訪大社とは
本殿を持たない信仰のかたち
本宮・春宮・秋宮はいずれも本殿を持たず、山や御神木といった自然そのものを御神体として拝む形をとっています。四社は同じ一つの建築様式を四箇所に繰り返しているのではなく、それぞれの土地にある山や木への信仰を、四つの場所でそれぞれに保ち続けている点で共通しているのです。
出典:諏訪大社とは
御柱祭の道のり―山出しから里曳きへ
七年目ごとの寅年・申年に、上社は約25キロ、下社は約20キロの道のりを、人力だけで曳き出します。
七年目ごとの寅年と申年
正式には式年造営御柱大祭といい、七年目ごとの寅年と申年に行われる諏訪大社最大の祭儀です。804年、桓武天皇の御代から信濃国をあげての奉仕がなされるようになったと伝えられ、現在では諏訪地方一円の20万人にのぼる氏子が参加します。四社の社殿の造り替えと、境内四隅に御柱と呼ばれる樅の大木を曳き建てることが、この祭りの二本柱です。
出典:式年造営御柱大祭
山出し
上社の御柱8本は約25キロメートル離れた八ヶ岳山麓・御小屋山の社有林から、下社の8本は約20キロメートル離れた霧ヶ峰高原続きの東俣の国有林から曳き出されます。大きな柱は長さ約17メートル、重さ約13トンにおよびますが、車もコロも使わず、一本につき1000人から2000人が力を合わせて曳きます。急坂を曳き落とす木落しや川を曳き渡る場面もありますが、それは人力と和で成し遂げる祭りの姿そのものです。
出典:式年造営御柱大祭
里曳きと建御柱
5月の里曳きでは、騎馬行列や長持ち、笠踊りといった華やかな行列とともに、御柱がそれぞれの宮へと進みます。社殿の四隅に曳き付けられた柱は、先端を三角錐に切り落とす冠落しを経て、建御柱では人力のみで少しずつ立ち上げられ、氏子を乗せたまま垂直に立てられます。山から里まで数週間かけて運ばれた柱が、最後に社殿の一部として鎮座する瞬間です。
出典:式年造営御柱大祭
祭りが映す地域の仕組み
16本の柱は氏子の地区ごとに割り当てられ、宝殿も祭りのたびに交互に造り替えられます。
十六本を担う氏子の組織
御柱は上下四社に4本ずつ、合計16本が建てられます。上社では明治23年から、御柱年の2月15日に柱の担当地区を抽籤で決める抽籤式が行われ、氏子は正月から前日まで本宮へ早朝祈願を続けます。下社では担当地区があらかじめ定められているため抽籤式は行われません。この違いは、同じ御柱祭という一つの祭りの中に、上社と下社で異なる氏子組織の運営方法が共存していることを示しています。
出典:式年造営御柱大祭
宝殿遷座祭―交互に生まれ変わる社殿
諏訪大神の御霊代を納める宝殿は、寅年と申年の御柱祭のたびに、上社と下社で交互に造り替えられます。新しい宝殿へ御霊代が遷る神事が宝殿遷座祭で、上社では里曳きの翌月にあたる6月15日に、下社では里曳きの前夜に、それぞれ執り行われます。柱を曳き建てる賑わいの陰で、社殿そのものも静かに新しく生まれ変わっていることになります。
出典:式年造営御柱大祭
よくある質問
諏訪大社は一つのお宮ではないの?
はい。上社本宮・前宮と下社春宮・秋宮という四つの宮からなる神社で、四社を合わせて「諏訪大社」と呼びます。四社まいりとして順にめぐる参拝の仕方も知られています。
御柱祭は何年に一度あるの?
数え方としては七年目ごと、実際の間隔では6年に一度、寅年と申年に行われます。前回・次回がいつかは、この数え方を基準に考えると見当がつきます。
御柱祭は危険な祭りとして紹介されがちだけど、実際は?
山出しの木落しなど迫力のある場面はありますが、祭りの本質は1000人から2000人もの氏子が車やコロを使わず力を合わせて曳く、人力と和による共同作業です。危険な場面だけを切り取ると、この協働の仕組みが見えなくなります。
上社と下社で御柱祭のやり方に違いはあるの?
あります。上社は柱の担当地区を抽籤で決めますが、下社はあらかじめ担当地区が決まっています。宝殿遷座祭の日程も、上社は里曳きの翌月、下社は里曳きの前夜と異なります。