支倉常長と慶長遣欧使節 ── 仙台藩の大航海

最終更新: 2026-06-27

慶長遣欧使節を描いた架空のドット絵風景

今から400年余り前、仙台藩はみずから建造した帆船で太平洋を渡り、ローマを目指しました。

政宗の命で、家臣・支倉常長が遠くヨーロッパへ派遣されます。

通商をめざした壮大な計画と、その足跡をたどります。

太平洋を越えた使節

慶長遣欧使節けいちょうけんおうしせつ

政宗が送った使節

1613年、政宗がスペインとの通商を求めて派遣した使節団。家臣の支倉常長が使節団を率いた。

出典:せんだい旅日和(仙台観光情報サイト)

支倉常長はせくらつねなが

使節を率いた武士

政宗の家臣で、使節団を率いてメキシコ・スペイン・ローマを歴訪した武士。

出典:支倉常長(Wikipedia)

サン・ファン・バウティスタ号さんふぁんばうてぃすたごう

使節船

仙台藩が月浦で建造した洋式帆船。使節団を乗せて太平洋を横断した。

出典:サン・ファン・バウティスタ号(Wikipedia)

月浦つきのうら

出帆の地

使節団が出帆した仙台藩領の港(現・石巻市)。1613年、ここから太平洋へ旅立った。

出典:せんだい旅日和(仙台観光情報サイト)

ルイス・ソテロるいす・そてろ

同行した宣教師

使節派遣を政宗に進言し、一行に同行したフランシスコ会のスペイン人宣教師。

出典:ルイス・ソテロ(Wikipedia)

ローマ教皇への謁見ろーまきょうこうへのえっけん

旅の到達点

1615年、常長はローマで教皇パウルス5世に謁見した。しかし通商の目的は果たせなかった。

出典:支倉常長(Wikipedia)

よくある質問

使節の目的は達成できたの?

スペインとの通商交渉は実りませんでした。日本での禁教の強まりもあり、常長は1620年に帰国しています。

使節の足跡は今も見られる?

石巻市の関連施設で復元船や資料に触れられます。関係資料はユネスコ「世界の記憶」にも登録されています。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

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