伊達政宗と仙台開府 ── 独眼竜が築いた杜の都

最終更新: 2026-06-27

伊達政宗を描いた架空のドット絵風景

仙台の歴史は、独眼竜・伊達政宗が1601年に城下町を開いたことから本格的に始まります。

関ヶ原の翌年、政宗は青葉山に城を構え、新しい都市づくりに着手しました。

政宗ゆかりの史跡をたどると、仙台という街の設計思想が見えてきます。

政宗が遺した仙台のかたち

伊達政宗だてまさむね

仙台藩初代藩主

幼名は梵天丸。隻眼から「独眼竜」と呼ばれた戦国大名で、1601年に仙台城下町を開いた。

出典:せんだい旅日和(仙台観光情報サイト)

仙台城せんだいじょう

青葉山の平山城

政宗が青葉山に築いた城で、別名「青葉城」。天然の要害を生かし、天守は設けられなかった。

出典:せんだい旅日和(仙台観光情報サイト)

瑞鳳殿ずいほうでん

政宗の霊屋

経ヶ峰に建つ政宗の墓所。絢爛な桃山様式の霊屋で、戦災で焼失したのち再建された。

出典:せんだい旅日和(仙台観光情報サイト)

大崎八幡宮おおさきはちまんぐう

国宝の社殿

政宗が1607年に造営した城下の鎮守。権現造の社殿は安土桃山期の遺構として国宝に指定されている。

出典:国宝 大崎八幡宮

貞山運河ていざんうんが

政宗ゆかりの運河

政宗が開いた木曳堀を起源とする運河群。政宗の諡「貞山」にちなんで貞山運河と総称される。

出典:宮城県 公式ウェブサイト

養賢堂ようけんどう

仙台藩の藩校

仙台藩が城下に設けた学問所。蘭学なども教え、藩の人材育成を担った。

出典:せんだい旅日和(仙台観光情報サイト)養賢堂 (仙台藩)(Wikipedia)

よくある質問

仙台城に天守はあったの?

仙台城に天守(天守閣)は築かれませんでした。幕府への配慮や、山城としての防御性などが理由に挙げられます。

「独眼竜」とはどういう意味?

政宗が幼少期に右目を失ったことにちなむ異名です。中国・唐末の武将の別称になぞらえられたものです。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

この記事の誤り・修正を報告