Q1.軽井沢のシンボルとして広く知られている、度重なる火山活動で形づくられた山はどれですか?
- 離山
- 浅間山
- 妙義山
- 八ヶ岳
正解を表示
正解浅間山
浅間山は幾度もの噴火によって形づくられた活火山で、山頂付近は今も噴気活動が続く。長野・群馬の県境にそびえるその姿は軽井沢のどこからでも望むことができ、避暑地としての歴史が始まる前から、この土地の景観の中心であり続けてきた。
出典:軽井沢町 浅間山

本番の問題を、答え・解説・出典つきで振り返れます。先に答えを考えてから、正解を表示してください。
収録しているのは出題プールの一部です。本番の検定では、ここに載っていない問題も出題されます。
最終更新: 2026-09-14
軽井沢という名前を聞いて思い浮かぶ景色から、まず10問を選んだ。浅間山の噴煙とその麓に広がる白糸の滝や雲場池、江戸時代の宿場町としての顔、そして一人の宣教師の来訪から始まった避暑地としての歴史。新幹線で東京から一時間という近さや、高原ゆえの涼しい夏、かつて開かれた冬季競技の記憶まで、軽井沢を語るときに欠かせない基本の知識を集めている。ここから先の段位で、より細かな記憶を試していく。
正解浅間山
浅間山は幾度もの噴火によって形づくられた活火山で、山頂付近は今も噴気活動が続く。長野・群馬の県境にそびえるその姿は軽井沢のどこからでも望むことができ、避暑地としての歴史が始まる前から、この土地の景観の中心であり続けてきた。
出典:軽井沢町 浅間山
正解地下水
白糸の滝は、雨水や雪解け水が長い年月をかけて浅間山麓の地層にしみ込み、岩肌のすき間から湧き出したものだ。単一の水源から流れ落ちる一般的な滝と異なり、幅広い岩壁全体から数百条の水が同時にしたたるため、白い糸を垂らしたような独特の景観が生まれている。
出典:軽井沢観光協会 白糸の滝
正解スワンレイク
雲場池は軽井沢を代表する散策スポットの一つで、水面に周囲の木々が鮮やかに映り込む眺めの美しさから、避暑に訪れた外国人たちに愛され、いつからか英語由来の「スワンレイク」という愛称でも呼ばれるようになったと伝えられている。特に紅葉の季節は多くの人でにぎわう。
出典:軽井沢観光協会 雲場池
正解軽井沢宿・沓掛宿・追分宿
軽井沢宿・沓掛宿・追分宿は、江戸と信州を結ぶ中山道の宿場町として浅間山南麓に並び、まとめて「浅間根越の三宿」と呼ばれた。参勤交代の大名や旅人たちが碓氷峠の難所を越えたのち、最初に一息つく場所として賑わったことで知られている。
出典:追分宿郷土館 ご案内
正解外国人宣教師
A・C・ショーは英国人の宣教師で、1886年に軽井沢を訪れ、その涼しく澄んだ気候をいたく気に入った。彼が地元へ広めたこの土地の魅力は評判を呼び、まもなく外国人宣教師や外交官たちが次々と訪れて別荘を構えるようになり、軽井沢は避暑地としての歴史を歩み始めた。
出典:軽井沢町のあゆみ
正解1783年の噴火の溶岩
鬼押出しは、1783年の天明噴火で山頂から噴き出した溶岩が北麓を流れ下り、そのまま冷えて固まった際にできた奇岩の景観である。ゴツゴツとした黒々とした岩肌が広範囲に広がる様子は、噴火の激しさを今に伝えている。
出典:軽井沢町 位置・地勢
正解北陸新幹線
軽井沢駅には北陸新幹線が停車し、東京駅から乗り換えなしで一時間ほどで結ばれている。1997年の開業でそれまでの在来線特急よりも大幅に移動時間が短縮され、東京圏からの日帰りや週末の別荘暮らしが一気に身近になった。
出典:軽井沢町のあゆみ
正解高原野菜
浅間山麓に広がる軽井沢周辺は標高が高く、夏でも涼しい気候のおかげでレタスやキャベツなどの高原野菜づくりが盛んで、旬の時期には道の駅や直売所に地元産の新鮮な野菜が並び、住民や観光客の食卓を支えている。
出典:軽井沢町のあゆみ
正解○(正しい)
軽井沢町の中心部は標高900~1,000メートル前後の高原に位置し、真夏でも東京より涼しい気候となる。この過ごしやすさこそが、明治以来多くの人々を避暑に呼び込み、別荘地としての発展を支えてきた最大の理由の一つである。
出典:軽井沢町 位置・地勢
正解カーリング
1998年の長野オリンピックでは、軽井沢がカーリング競技の会場となった。当時の日本ではまだ馴染みの薄かったこの競技を全国に広める舞台となり、軽井沢はウインタースポーツの町としての知名度をさらに高めることになった。
出典:軽井沢町のあゆみ
ここからは、軽井沢に長く関わる人でも即答をためらう15問。テニスコートでの出会いが結んだ縁、教会の数が仏閣を上回るという珍しい町の姿、別荘が住民の家を大きく上回る財政の仕組み、そして霧を活かした野菜づくりや近年のワーケーション事情まで、暮らしと歴史の細部に踏み込む。町が自らに課してきた静かな環境を守るための取り決めを知っていれば、選択肢を絞りやすくなるはずだ。
正解日本最古の現存するテニストーナメント
軽井沢トーナメントは大正6年(1917年)に始まり、現存する日本最古のテニストーナメントとされる。避暑に訪れた外国人と日本人が共にコートに立ったことが軽井沢でのテニス文化を育て、以後100年以上にわたり毎年夏に大会が続けられている。
正解正田美智子(後の皇后陛下)
昭和32年、軽井沢のテニスコートでの出会いが、皇太子明仁親王と正田美智子(後の皇后陛下)のご結婚につながったと伝えられる。以来この出会いは「軽井沢ロマンス」として語られ、テニスの町としての軽井沢のイメージを広く印象づける出来事となった。
正解深夜営業や風俗営業
軽井沢町は「善良なる風俗維持に関する条例」などにより、深夜営業や風俗営業、歓楽街の形成を町内全域で禁止している。避暑地として静かな環境を守りたいという住民の意向を反映したもので、今も町の景観や雰囲気づくりの土台となっている。
正解晩年を追分で過ごし、この地の自宅で生涯を終えた
小説家・堀辰雄は肺の病気療養のため軽井沢を度々訪れ、晩年の1951年に追分に新居を構えて移り住み、1953年にその自宅で生涯を終えた。追分宿郷土館のすぐそばに立つ堀辰雄文学記念館は、こうして堀と深いゆかりを持つ追分の地に立っている。
正解軽井沢・プリンスショッピングプラザ
軽井沢駅の南口側には、有名ブランドのアウトレット店舗やレストランが数多く集まる大型商業施設「軽井沢・プリンスショッピングプラザ」が広がっている。駅からそのまま歩いて入れる立地の良さから、観光客だけでなく別荘客の日常の買い物先としても親しまれている。
正解釜山は常時立入禁止で、登山者が到達できるのは前掛山まで
浅間山には二つの峰があり、今も噴煙を上げる本当の最高点「釜山」は常時立入禁止となっている。登山者が実際に到達できるのは、そこから一段低い前掛山までで、日本百名山としての浅間山登山は実質的にこの前掛山止まりとなる。
出典:気象庁 浅間山
正解1万6000軒を超え、町内の持ち家数の1.5倍以上に及ぶ
軽井沢町内の別荘・保養施設は1万6000軒を超え、住民の持ち家数の1.5倍以上に及ぶ。夏だけ人が訪れる建物が住民の家の数を大きく上回っているという事実は、この町がいかに別荘地としての性格を強く持っているかを物語っている。
正解日本初の全寮制インターナショナルスクールで、後に国内唯一のUWC加盟校となった
2014年、軽井沢町に日本初の全寮制インターナショナルスクール『UWC ISAK Japan』が開校し、2016年にUWC(ユナイテッド・ワールド・カレッジ)への加盟が承認され、翌2017年に国内唯一のUWC加盟校として名称を改めた。世界各国から生徒が集まり寄宿生活を送るこの学校は、避暑地から国際教育の拠点へという軽井沢の新しい一面を象徴している。
正解町内全域で民泊やカプセルホテルの営業を一切認めていない
軽井沢町は「善良なる風俗の維持と良好な自然環境の保全の障害となる」との理由から、町内全域で民泊やカプセルホテルの設置を一切認めない方針をとっている。増え続ける宿泊需要にあえて背を向けてでも、別荘地としての静かな環境を守る姿勢を明確に示した規制である。
正解霧下野菜
軽井沢は年間を通じて霧の発生が多い気候で知られ、この気候を活かして栽培された野菜は「霧下野菜」と名付けられ、2010年に商標登録された。夜間から早朝にかけて畑を包む霧が野菜の水分を保ち、甘みを増すと言われ、地元の直売所などで人気を集めている。
正解教会の数が仏閣の数を上回っている
軽井沢町は、避暑に訪れた外国人宣教師たちのために明治から大正にかけて教会が次々に建てられた歴史があり、教会の数が仏閣の数を上回っている全国でも珍しい町として知られる。この宗教施設の分布そのものが、避暑地としての歩みを映す独特の証となっている。
正解リゾートウエディング
星野温泉に隣接する軽井沢高原教会とホテルブレストンコートは、日本におけるリゾートウエディングの先駆けとされる。緑に囲まれた教会での挙式という当時は珍しかった形式を広め、以後全国のリゾート地でも同様の結婚式が広がるきっかけをつくった。
出典:星野リゾート公式 歴史
正解別荘所有者の固定資産税が税収の約8割を占め、県内唯一の地方交付税不交付団体である
軽井沢町は別荘所有者による固定資産税の納入が税収の約8割を占め、長野県内で唯一、地方交付税を受け取らない自治体となっている。多くの別荘客に支えられたこの独特の財政構造は、道路整備や公共施設の充実にもつながっているとされる。
正解庭園/美術館/歴史的建築物
塩沢湖畔に広がる軽井沢タリアセンには、庭園や美術館、町内から移築された歴史的建築物などが一つの敷地に集まっている。湖のほとりを散策しながらいくつもの見どころを一度に楽しめる、軽井沢らしい複合レジャー施設となっている。
正解ワーケーションの拠点として/移住先として
近年の軽井沢は、静養や観光目的だけでなく、ワーケーションや移住先としても大きな関心を集めている。東京圏からの新幹線一本の近さと高原の涼しい環境が、テレワークが広がる時代の暮らし方に合っていると評価されているためだ。町内での大規模工場の建設は規制されており、内陸の高原地帯であるためタンカー港もない。
仕上げは、軽井沢通を名乗る前の関門となる15問。別荘に残る暮らしの痕跡、文人たちが最初にこの土地を訪れた年、火山としての浅間山の噴火の型、そして鉄道や国際交流の出来事を年代順に並べ直す問題まで、細部の記憶と時系列の整理力が同時に試される。並べ替えや複数選択の形式も含まれ、覚えている事実をどう並べるかまで考えさせられる構成になっている。ここを越えれば、軽井沢についてかなり深く語れるはずだ。
正解電気と水道
創建時の八田別荘には電気も水道もまだ整っておらず、生活用水は敷地内の井戸でまかない、夜の明かりには石油ランプを使っていた。当時の軽井沢の別荘暮らしが、現代とはまったく異なる不便さと隣り合わせだったことがうかがえる。
出典:軽井沢町 八田別荘
正解1910年の大洪水
八田別荘の庭にたたずむお地蔵様は、もともとこの場所にあったものではなく、1910年に軽井沢一帯を襲った大洪水の際、川の上流からこの庭まで流れ着いたと伝えられている。災害の記憶を静かに伝える存在として今も大切にされている。
出典:軽井沢町 八田別荘
正解各国の民芸品
軽井沢型絵染美術館の2階には、創設者の小林今日子が世界各国を旅して集めた民芸品が展示されている。型絵染の作品だけでなく、旅先で出会った異文化の品々にも触れられる、他の美術館にはない独特の展示構成となっている。
正解80種類以上
環境省のモデルコースは、上信越高原国立公園内にある軽井沢野鳥の森でこれまでに80種類以上の鳥が確認されていると紹介している。四季を通じて様々な野鳥が集まるこの森は、日本で野鳥観察が始まった場所の一つとしても知られている。
正解ブルカノ式
浅間山は、火口にたまった溶岩や火山灰が突発的に吹き飛ばされる、爆発的な「ブルカノ式」噴火を特徴とする火山である。静かな期間が続いたのち急に激しく噴火することがあり、気象庁が常時観測を続ける理由の一つになっている。
出典:気象庁 浅間山
正解芥川龍之介
堀辰雄は1925年、文学の師である芥川龍之介らとともに、初めて追分の地を訪れた。この最初の訪問がきっかけとなって追分との縁が始まり、後年、堀は療養先としてこの地を選び、深く関わっていくことになる。
正解1961年
詩人・小説家の室生犀星は、この別荘が完成した後、亡くなる前年にあたる1961年まで、毎年欠かさず夏をここで過ごした。避暑地としての軽井沢を長年愛した文人の一人として、今も記念館にその足跡が残されている。
出典:室生犀星記念館 ご案内
正解1997年
旧近衛文麿別荘は、幾度かの所有者の移り変わりを経たのち、1997年に現在地である雨宮池の東端へ移築された。歴史ある建物を保存しながら活用する町の姿勢を示す事例として、今も見学の対象となっている。
正解可動間仕切りを格納する/約90平方メートルになる/34~40人程度の小リサイタルに使える
軽井沢大賀ホールの楽屋3と演奏者ラウンジは、間の可動間仕切りを収納すると一体化し、約90平方メートルの空間になる。この広さを生かして、34人から40人程度が入る小さなリサイタルの会場としても利用することができる。
正解町内93遺跡の調査成果を踏まえる
2025年に新設された考古資料展示室は、これまでに町内で確認された93の遺跡の調査成果を基に構成されている。軽井沢が避暑地となるはるか以前から人々が暮らしていたことを示す出土品を通じて、この土地の長い歴史をたどることができる。体験コーナーや遺跡ごとの専属学芸員常駐は実在しない。
正解国指定2件/指定文化財合計34件
軽井沢町の指定文化財は、国指定2件・県指定2件・町指定30件を含め合計34件にのぼる。別荘地としての近代の歴史だけでなく、中山道の宿場町時代からの遺構まで幅広く含まれており、町の重層的な歴史を裏づけている。県指定は5件ではなく2件、町指定は3件ではなく30件が正しい。
出典:軽井沢町の文化財
正解男湯内湯の深さ90センチ
星野温泉トンボの湯の男湯内湯は、深さ約90センチと立ったまま浸かれるほどの深さがある。源泉かけ流しの湯にゆったりと浸かりながら、四季折々の高原の景色を眺められる造りになっている。女湯の深さ120センチや水風呂の夏季限定営業は誤り。
正解軽井沢を避暑地として紹介 → 大塚山に別荘を建設 → A・C・ショー記念碑設立 → ショーハウス復元
A・C・ショーにまつわる出来事は、避暑地としての紹介(1886年)、大塚山への別荘建設(1888年)、記念碑の設立(1908年)、そしてショーハウスの復元(1986年)という順で進んだ。約100年にわたるこの流れが、軽井沢の避暑地としての歩みをそのまま映し出している。
出典:軽井沢町のあゆみ
正解直江津線直江津―軽井沢開通 → 碓氷線横川―軽井沢開通 → 碓氷線アプト式電化 → 信越本線碓氷新線完成
軽井沢へ至る鉄道は、直江津線の開通(1888年)、碓氷線の開通(1893年)、アプト式による電化(1912年)、そして碓氷新線の完成(1963年)という順で整備が進んだ。急勾配という難所を克服し続けてきた歴史が、この年表に凝縮されている。
出典:軽井沢町のあゆみ
正解カンポス・ド・ジョルドン姉妹都市提携議決 → ウィスラー姉妹都市提携 → G7交通大臣会合 → G7外務大臣会合
軽井沢の国際交流は、ブラジル・カンポス・ド・ジョルドンとの姉妹都市提携議決(1968年)、カナダ・ウィスラーとの姉妹都市提携(1999年)、G7交通大臣会合(2016年)、G7外務大臣会合(2023年)という順に積み重ねられてきた。避暑地としての国際的な人的交流の歴史が、近年の国際会議開催にもつながっている。
出典:軽井沢町のあゆみ