軽井沢への道は、どう変わってきたか

軽井沢への行き方は、一度も同じままだったことがありません。徒歩、アプト式鉄道、電化、そして新幹線へ。
碓氷峠という急な上り坂は、軽井沢へ向かう旅人と鉄道の双方にとって、長く技術的な壁であり続けました。峠をどう越えるかという課題への答えが変わるたび、軽井沢への到達のしかたも変わっています。
この記事では、中山道の徒歩の時代から、アプト式鉄道、電化、新幹線開業までを、宿場・観光・定住への影響という視点で比較しながらたどります。
中山道と碓氷峠
碓氷峠は中山道最大の難所で、追分の分去れは旅人が進路を選ぶ分岐点でした。
難所としての碓氷峠
中山道を江戸方面へ進む旅人にとって、碓氷峠は最大の難所でした。峠の頂上、標高約1,200メートルの地点には熊野皇大神社が鎮座し、長野・群馬の県境をまたぐ立地で知られます。鉄道が敷かれる以前、この標高差は徒歩と馬だけで越えるほかありませんでした。
分去れと一里塚わかされといちりづか
追分にある分去れは、中山道と北国街道が分かれる分岐点で、道標や常夜灯、一里塚が今も残ります。1803年の浅間山噴火では、噴石によってそばの分去れ茶屋が倒壊したと記録されています。旅人はここで、京へ向かう中山道と越後へ向かう北国街道のどちらを進むか選びました。追分歴史散歩では、泉洞寺の歯痛地蔵尊を起点に、枡形の茶屋つがるやを経て分去れへ至る道筋が案内されており、その先にはシャーロック・ホームズ像も立つ。
鉄道が変えた到達手段
1888年から1912年にかけて、軽井沢への到達手段は鉄道へ、さらに電化鉄道へと切り替わりました。
直江津側からの鉄道
軽井沢に最初に鉄道が届いたのは、東京側からではなく直江津側からでした。1888年、直江津―軽井沢間が開通しています。当時はまだ碓氷峠を越える鉄道がなく、東京方面との行き来には峠道が残っていました。
出典:軽井沢町のあゆみ
アプト式が越えた碓氷峠
1893年、横川―軽井沢間にアプト式の碓氷線が開通し、ようやく鉄道で碓氷峠を越えられるようになりました。急勾配を歯車とレールの噛み合わせで登るアプト式は、峠という地形上の難所に対する技術的な答えでした。
出典:軽井沢町のあゆみ
日本最初の鉄道電化
1912年、碓氷線横川―軽井沢間はアプト式のまま電化され、日本最初の鉄道電化区間になりました。急勾配区間だからこそ蒸気機関車の煙害や牽引力の限界が早くから問題となり、電化がいち早く実現したといえます。
出典:軽井沢町のあゆみ
新線への切り替えと複線化
1963年、信越本線碓氷新線が横川―軽井沢間に完成し、アプト式に頼らない通常の粘着運転に切り替わりました。同じ年に軽井沢―長野間も電化され、1966年には横川―軽井沢間が複線化されています。峠の技術的な制約は、段階的に解消されていきました。
出典:軽井沢町のあゆみ
新幹線がもたらした転機
1997年の新幹線開業は、100年余り続いたアプト式区間の廃止と、定住人口の広がりという二つの転機をもたらしました。
旧線廃止と新幹線開業
1997年、北陸新幹線と第三セクターしなの鉄道、そして横川―軽井沢間のJRバスが同時に開業しました。1893年に開通した碓氷峠の鉄道は、1963年のアプト式廃止(粘着運転化)を経て、この年に104年の歴史に幕を下ろしています。峠を越える鉄道の歴史は、新幹線の開業と引き換えに一区切りを迎えました。
出典:軽井沢町のあゆみ
道路整備という並走の物語
鉄道と並行して、道路も整備が進みました。1933年に坂本―軽井沢間の国道が舗装され、1971年には碓氷有料バイパスが完成、2001年にはこのバイパスが無料化されています。鉄道の技術更新だけでなく、自動車での到達しやすさも段階的に高まりました。
出典:軽井沢町のあゆみ
到達手段と定住の広がり
1889年設置の東西長倉村は合わせて数千人規模でしたが、1923年の町制施行時には軽井沢町だけで人口5,012人、2013年には町全体で人口2万人に達しています。到達手段が徒歩から鉄道、そして新幹線・自動車へと広がるにつれ、定住する人口も増えていきました。
出典:軽井沢町のあゆみ
旧軽井沢駅舎記念館という記憶
新幹線開業にともない旧軽井沢駅の駅舎は役目を終えましたが、取り壊されるのではなく保存され、2000年に「旧軽井沢駅舎記念館」として開館しました。2017年に閉館するまで、峠を越える技術の移り変わりを伝える施設として使われています。
出典:軽井沢町のあゆみ
よくある質問
碓氷峠の鉄道はなぜアプト式だったの?
碓氷峠は急勾配で、通常の粘着運転では登れなかったためです。1893年開通の碓氷線は歯車とレールを噛み合わせるアプト式を採用し、1912年には日本最初の鉄道電化区間にもなりました。1963年の新線開通でアプト式は不要になっています。
避暑地としての軽井沢の人物史も知りたい
宣教師や別荘の担い手については、別記事「軽井沢の避暑地文化」で扱っています。この記事は交通技術そのものの更新に絞り、人物の経歴には立ち入っていません。
使われていた車両の詳しい仕様が知りたい
この記事は路線・技術の切り替わりという歴史の流れを扱うもので、車両ごとの形式や仕様の一覧は対象外です。鉄道関連の資料館や専門書を参照してください。
旧アプト式の線路は今もどこかに残っている?
1997年に廃止された横川―軽井沢間のアプト式区間そのものは営業を終えていますが、旧軽井沢駅舎記念館など、当時を伝える施設が整備されてきました。この記事では、その保存の経緯も歴史の一部として扱っています。