教会・ホテル・別荘は軽井沢の景観をどう形づくったか

軽井沢に残る建物は、様式だけでは語れません。誰が使い、どう役割を変えてきたかが、文化的な景観をつくってきました。
旧三笠ホテルは官庁施設にも進駐軍施設にもなり、旧近衛文麿別荘は3度所有者が変わって2度移築されました。軽井沢に残る建物の多くは、建てられたときの姿のまま今に至っているわけではありません。
この記事では、ホテル・教会・別荘という3つの建築群を、様式の一覧としてではなく、用途と利用者がどう移り変わってきたかという視点で出典つきにたどります。
ホテル建築という近代化の跡
アルプス館は宿泊施設としての営業を続けながら文化財となり、旧三笠ホテルはホテル・官庁施設・進駐軍施設を経て文化財となりました。
万平ホテル・アルプス館
万平ホテルの現存する洋館アルプス館は、建築家・久米権九郎の設計により1936年に完成しました。2018年には登録有形文化財に登録されています。1976年から1979年まで、ジョン・レノン一家は毎夏この建物の128号室を定宿とし、静養の場として使いました。宿泊施設としての営業を続けながら、建物そのものが歴史的な価値を積み重ねてきた例です。
旧三笠ホテルの用途転換
実業家・山本直良の計画、建築家・岡田時太郎の設計により、旧三笠ホテルは1905年に落成し、万平ホテルの佐藤万平が施工を監督しました。1925年に株式会社明治屋が買収し子会社の中央亭が経営、1944年には太平洋戦争のためホテル営業を休止しています。1945年には外務省軽井沢事務所、1947年には接収下で米陸軍第八軍の将校用レストホテルとして使われました。1952年の接収解除後は「三笠ハウス」として営業を再開し、1974年には曳家で北へ50メートル移転して補修されています。1980年に国の重要文化財に指定され、2020年からは耐震補強を含む保存修理工事が進められました。一つの建物が、ホテル、官庁施設、進駐軍施設、そして文化財へと役割を変え続けてきた歩みです。
レーモンドが刻んだ建築
アントニン・レーモンドは、教会建築と自邸兼事務所という異なる用途の建物を軽井沢に残しました。
聖パウロカトリック教会
旧軽井沢の聖パウロカトリック教会は、英国人のワード神父が設立し、建築家アントニン・レーモンドが設計を手がけました。傾斜の強い三角屋根と打ち放しコンクリートを特徴とする外観は、避暑地の別荘建築とは異なる、宗教建築ならではの存在感を放っています。
軽井沢夏の家
軽井沢夏の家は、レーモンドが自らの別荘兼事務所として1933年に設計・建築しました。中央へ向かって低くなるバタフライ屋根が特徴で、木造一部2階建、鉄板葺きの建物です。スロープや吹抜けを使って内部に動きと開放性を生み、日本の伝統技法を用いた木造モダニズム建築の先駆例と評価されています。1986年に現在地へ移築され、2023年9月25日に国の重要文化財に指定されました。
別荘建築の担い手たち
近衛文麿別荘・室生犀星の別荘・八田別荘・明治四十四年館は、それぞれ別の形で今に残っています。
旧近衛文麿別荘(市村記念館)
現在は市村記念館と呼ばれる旧近衛文麿別荘は、建築会社あめりか屋の手で建てられ、はじめ野沢源次郎が所有していました。近衛文麿は大正15年(1926年)にこの別荘を購入し、1932年には市村今朝蔵が買い取って翌年南原へ移築しています。1997年には雨宮池東端の現在地へ再び移築され、2016年5月24日に軽井沢町指定文化財となりました。館内では近衛文麿と雨宮敬次郎に関する資料を展示しています。
室生犀星記念館
作家・室生犀星が使った別荘は昭和6年(1931年)に建てられ、現在は室生犀星記念館として公開されています。室生犀星は、亡くなる前年にあたる1961年まで、毎夏をこの建物で過ごしました。一つの別荘建築が、避暑用の私邸から文学者の記念館へと役割を変えた例です。
出典:室生犀星記念館 ご案内
八田別荘の建築的な工夫
邦人最初の別荘として知られる八田別荘は、木造2階建ての建物で、敷地の形状の影響から正面の配置が変則的になっています。創建当時は電気も水道も引かれておらず、水は敷地内の井戸、明かりはランプに頼っていました。庭にあるお地蔵様は、1910年の大洪水で上流から流れ着いたものと伝わります。建物は平成26年度に軽井沢町へ寄贈されました。
出典:軽井沢町 八田別荘
明治四十四年館という保存
軽井沢タリアセンに移築復元された明治四十四年館は、もとは旧軽井沢郵便局舎として建てられた建物です。軽井沢駅の改築も手がけた鉄道大工・甲田良吉が建設し、1996年にタリアセンへ移築復元されました。塩沢湖を中心に庭園・美術館・歴史的建築物を集めたタリアセンは、こうして役目を終えた建物の受け皿にもなっています。
出典:レトロ郵便局 現存する明治末期の二等郵便局|旧軽井沢郵便局(軽井沢タリアセン・明治四十四年館)軽井沢観光協会 軽井沢タリアセン
よくある質問
なぜ軽井沢にはレーモンド建築がいくつも残っているの?
建築家アントニン・レーモンドは、1933年に軽井沢夏の家を自らの別荘兼事務所として建てました。地域と関わりの深い建築家が教会建築(聖パウロカトリック教会)も手がけたことで、様式の異なる複数の作品がまとまって残っています。
万平ホテルの経営や別荘文化の担い手について、もっと知りたい
万平ホテルの旅籠からホテルへの転換は別記事「軽井沢は宿場からどう変わったか」、避暑地文化を支えた組織や商業の担い手については別記事「軽井沢の避暑地文化は、誰がつくったのか」で扱っています。この記事は建物そのものの設計・用途転換に絞っています。
現存する建物の入館料や開館時間を知りたい
この記事は建築と用途の変遷を扱うもので、現役施設の料金・開館時間などの案内は対象外です。各施設の公式情報を直接確認してください。
浅間山の噴火と建物への影響について知りたい
火山そのものの地形や噴火のしくみは、別記事「浅間山はどうやって軽井沢の水と森をつくったか」で扱うテーマです。この記事では、建築と用途の変遷という観点にとどめています。