長野市の歴史 ── 善光寺・松代・鉄路が重なった町のなりたち

最終更新: 2026-07-15

長野盆地を描いた架空のドット絵風景

長野市を語るとき、多くの人がまず善光寺を思い浮かべる。だが門前町という看板の下には、古墳の時代から城下、鉄路の時代まで、幾重にも重なった歴史が眠っている。

長野盆地には、大室古墳群を残した古代の営みがあり、中世には合戦と交易が行き交い、江戸時代には松代藩をはじめ複数の支配が並び立った。善光寺はその中心の一つではあるが、唯一の主役ではない。

ここでは盆地の地形から明治の市制、鉄道が結んだ近代までを、出典を確かめながら順に読み解く。善光寺の伽藍そのものの詳しい説明や、川中島合戦の経過は、それぞれ別記事に譲る。

盆地に積もった古代と中世

長野盆地は古くから人の営みが重なり、合戦と交易が交わる場所でもあった。

長野盆地ながのぼんち

県内2番目の広さ

長野市の中心部が広がる長野盆地は、県内で松本盆地に次いで2番目に広い。東西で成り立ちの異なる山地の間に土砂が堆積して形成され、火山・地震・洪水・地滑りが幾度もその姿を変えてきた。地下のエネルギーは、災害だけでなく温泉という恵みももたらしている。

出典:長野市立博物館「1階展示室」

大室古墳群おおむろこふんぐん

約500基・1997年国史跡

長野盆地の東、大室の山あいには、5世紀前半から8世紀にかけて築かれた大室古墳群が広がる。約2.5平方キロメートルの範囲に約500基もの古墳が密集し、板石を合掌形に組む石室や、土ではなく石を積んだ積石塚など、他地域とは異なる形式が見られる。1997年には一部の約16ヘクタールが国史跡に指定された。

出典:長野市「大室古墳群保存整備事業報告書」

中世の合戦

横田河原・漆田・大塔・川中島

長野市域は中世を通じて、戦の舞台であり続けた。長野市立博物館は横田河原・漆田・大塔・川中島の合戦を、この地で起きた中世の戦として挙げている。なかでも川中島の戦いの経過や人物像は、松代・川中島の史跡とあわせて別記事でくわしく扱う。

出典:長野市立博物館「2階展示室」

中世の交易

中国製陶器・銭も出土

戦乱が続く一方で、盆地には広域の交易も及んでいた。市内の中世遺跡からは中国製の陶器や銭、能登・尾張で焼かれた陶器が出土しており、長野市立博物館はこれを人と物が盆地の外まで行き来した証しとして展示している。善光寺参詣だけが、当時の人の往来を生んでいたわけではない。

出典:長野市立博物館「2階展示室」

分立する支配と、盆地を揺るがした地震

長野市域は一つの藩に統一されず、江戸時代の終わりには大きな地震にも見舞われた。

支配の分立

松代藩・上田藩・須坂藩・飯山藩

江戸時代の長野市域には、松代藩・上田藩・須坂藩・飯山藩、幕府領、旗本知行所が入り組んで存在した。一つの藩がまとめて治める城下町ではなく、村ごとに名主を置いて文書で自治的に運営される地域が多かったと、長野市立博物館は説明している。

出典:長野市立博物館「2階展示室」

善光寺地震

1847年・推定M7.4

1847年、弘化4年の善光寺地震は、推定マグニチュード7.4、夜10時ごろに長野市直下で発生したと市の災害記録は伝えている。ちょうど善光寺の御開帳の最中で、全国から参詣者が集まっていたことが、被害をいっそう大きくしたとされる。

出典:長野市「長野市の過去の主な地震災害」

地震が連ねた被害

犀川・岩倉山崩壊

善光寺地震では、揺れそのものだけでなく倒壊・火災・山崩れが連鎖した。犀川右岸で起きた岩倉山の崩壊が川をせき止め、後に決壊して数十の村を水没させたと市の記録は記している。一つの災害が地形と暮らしを長く変えてしまった例である。

出典:長野市「長野市の過去の主な地震災害」

市制から、鉄路が結ぶ近代へ

長野市は1897年に生まれた小さな市域から、合併と鉄道網の広がりとともに姿を変えてきた。

長野市の誕生

1897年4月1日・9.05km²

長野市は1897年4月1日、上水内郡長野町を中心に誕生した。発足時の面積はわずか9.05平方キロメートルで、現在の広い市域とは比べものにならない規模だった。

出典:長野市「沿革」

合併で広がった市域

1966年・2010年・約835km²

長野市の市域は一度に今の形になったわけではない。誕生後も1923年・1954年と編入を重ね、1966年には篠ノ井市や川中島町なども合わさる大きな合併で市域が広がった。2005年には戸隠村・豊野町・鬼無里村・大岡村が、2010年にはさらに編入があり、市域は約835平方キロメートルに達した。

出典:長野市「沿革」

鉄路が結んだ門前と町

1888年JR長野駅開業

近代の長野市を形づくったのは合併だけではない。1888年にJR長野駅が、1928年には長野電鉄長野駅が開業し、門前町と広域の鉄道網が結ばれていった。交通の整備は、善光寺参詣の形そのものも変えていくことになる。

出典:JR東日本「長野駅」長野電鉄「長野駅」

よくある質問

長野市の歴史は、善光寺の歴史とイコールですか?

いいえ。善光寺は長野市を代表する存在だが、市の歴史は古墳時代の営みや中世の合戦・交易、江戸時代に分立した支配、明治以降の合併と鉄道まで幅広い。善光寺の伽藍そのものは門前町の記事で、川中島の合戦は松代・川中島の記事で、それぞれくわしく扱っている。

長野市は「城下町」と呼べますか?

市の中心部にあたる善光寺の門前町自体は、城下町ではない。ただし現在の長野市域には、真田家十万石の城下だった松代も含まれる。松代が長野市の一部になったのは江戸時代からではなく、昭和の合併を経てのことである。

長野市の市域は、なぜ何度も広がったのですか?

1897年の市制施行時、長野市はわずか9.05平方キロメートルの小さな市だった。その後は近隣の町村を編入するかたちで段階的に拡大し、1966年の大きな合併や2005年・2010年の編入を経て、現在の約835平方キロメートルに至った。一度の大合併で今の形になったわけではない。

大室古墳群は今も見学できますか?

はい。約2.5平方キロメートルに広がる古墳群のうち、1997年に指定された国史跡の範囲は約16ヘクタールで、現地で古墳の形を確認できる。合掌形石室や積石塚など、他地域では見られない築造方法も特徴として紹介されている。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

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