長野・善光寺平・北信・信州 ── その呼び名は何を指す?

最終更新: 2026-07-15

長野市を描いた架空のドット絵風景

「長野」という言葉は、一つの範囲だけを指しているわけではない。市の名前なのか、盆地の呼び名なのか、それとも県全体の話なのか、同じ二文字でも指す広さが変わる。

長野市のクイズには、長野・善光寺平北信信州といった呼び名がたびたび登場する。これらは同じ場所を言い換えているのではなく、市・盆地・地域区分・旧国名の縮約という、それぞれ違う物差しで区切られた呼び名である。

ここでは県全体の難読地名や、県内市町村の網羅は扱わない。長野市を軸に、呼び名どうしがどう範囲を変えるかを出典とともに整理する。

同じ「長野」でも指す範囲が違う

「長野」は市の名前であると同時に、より広い盆地や地域区分の一部でもある。

長野市ながのし

1897年市制施行

「長野市」は、1897年に上水内郡長野町を中心に生まれた自治体の名である。市制施行前のこの一帯は「長野町」という町名と「上水内郡」という郡名で呼ばれており、今のような「長野市」という単位はまだ存在しなかった。地図で「長野」を見るときは、それが市域なのか、もっと広い範囲なのかをまず確かめたい。 1897年の市制施行はこの上水内郡長野町を中心とする範囲から始まり、その後の合併を重ねて現在の市域まで広がってきた。つまり「長野市」という呼び名自体、時代によって指す面積が違っていたことになる。

出典:長野市「沿革」

善光寺ぜんこうじだいら

盆地全体を指す呼び名

長野市の市街地が広がる盆地は、地元では「善光寺平」とも呼ばれる。行政区分としての「長野市」より広く、盆地全体を指す地理的な呼び名で、門前町の象徴である善光寺の名が、寺だけでなく周辺の平野そのものの呼称にもなっている。

出典:長野市第四次総合計画・基本構想目標編

北信ほくしん

北信・東信・中信・南信

長野市は、長野県を方角と旧国名の一字で四つに分ける区分のうち「北信」に位置する。北信・東信・中信・南信という呼び方は、県内のどのあたりかを大まかに示す地域区分であり、市町村の境界と重なるとは限らない、もう一段広いくくりである。

出典:長野市第四次総合計画・基本構想目標編

県全体を指す、もう一つの呼び名

「信州」「信濃国」「長野県」は、いずれも今の県域をほぼ指すが、生まれた時代も性格も異なる。

信州しんしゅう

「信濃」の縮約形

長野県全体を指す呼び名として、行政上の県名とは別に「信州」がある。旧国名「信濃」に由来する呼び方で、観光・文化・食のブランドとして今も広く使われている。「信州そば」「信州りんご」のように、県名より先に地域色を伝える言葉として選ばれることが多い。 県外から「信州出身です」と名乗る人が多いのも、行政区分より先にこのブランド名が広く知られているためだといえる。 クイズや観光案内で「信州」が使われるとき、それが県全体を指しているのか、旧国名の由緒を強調したいのかを読み分ける手がかりにもなる。

出典:長野市第四次総合計画・基本構想目標編

信濃国しなののくに

1871年廃藩置県以前の旧国名

「信州」のもとになった「信濃国」は、1871年の廃藩置県より前、この一帯を指した旧国名である。現在の長野県域は、ほぼこの信濃国の範囲に対応するとされる。「信州」は、この「信濃国」を「州」の一字で言い換えた縮約形にあたる。

出典:長野市第四次総合計画・基本構想目標編

長野県ながのけん

1876年筑摩県と合併

現在の「長野県」という行政区分は、一度の手続きで定まったわけではない。1871年、廃藩置県で長野県が誕生した際、対象は信濃国のうち東北信地域にとどまり、中南信地域は筑摩県とされた。信濃国が一つの長野県にまとまったのは、1876年に筑摩県が長野県へ合併されてからである。

出典:長野県「長野県の歴史2」

よくある質問

「長野」と言われたら、まず何を疑えばいい?

クイズや文章に「長野」が出てきたら、市(長野市)・盆地(善光寺平)・地域区分(北信)・旧国名の縮約(信州)のどれを指しているかを、まず考えるとよい。同じ二文字でも、地図上で示す範囲がまったく違うことがある。

「信州」と「長野県」はまったく同じ範囲?

現在はほぼ同じ範囲を指すが、成り立ちが異なる。「長野県」は1871年に生まれ、1876年の筑摩県合併で今の形になった行政区分。「信州」はそれ以前の旧国名「信濃国」に由来する、行政区分とは別の呼び名である。

「北信」に住んでいれば「信州人」と言える?

「信州」は長野県全体を指す呼び名なので、北信・東信・中信・南信のどこに住んでいても「信州」の一部にあたる。「北信」はその中で長野市などが位置する、さらに狭い地域区分である。

長野市は最初から今の広さだった?

いいえ。1897年の誕生時は上水内郡長野町を中心とするごく狭い範囲で、盆地全体を指す「善光寺平」よりずっと小さかった。市域がどう広がっていったかは、歴史の記事でくわしく扱っている。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記

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