湘南の歩いてわかる地域|ご当地マニア検定

湘南を歩いて実感できるのは、宿場町として栄えた歴史と、今も続く市民参加型の祭りという「地域の暮らし」の姿である。ここでは平塚市と大磯町、隣り合う二つの自治体の性格の違いを、七夕まつりと東海道の宿場町という切り口からたどる。
平塚市は江戸時代の東海道平塚宿を前身とし、現在は「湘南ひらつか七夕まつり」で知られる。大磯町も同じく東海道大磯宿を前身とするが、明治以降は政財界人の別荘地として発展した点で性格が異なる。
各項目には市町の一次資料を添えている。「宿場町」という共通点の先にある違いを、出典で確認しよう。
歩いてわかる地域を読む:まず押さえる名前
平塚市は東海道平塚宿を前身とし、戦災復興を機に1951年に始まった「湘南ひらつか七夕まつり」で知られる。仙台・一宮と並ぶ日本三大七夕まつりの一つに数えられる。
平塚市
平塚市は江戸時代に東海道平塚宿として栄えた町で、太平洋戦争末期の空襲で市街地の約7割を焼失した。1950年の復興イベント「復興まつり」を経て、翌1951年に仙台の七夕まつりを範に「七夕まつり」として再出発したのが、現在「湘南ひらつか七夕まつり」と呼ばれる祭りの始まりである。中心街には毎年約300本、市内全体では2000本近い七夕飾りが設置され、仙台・一宮と並ぶ日本三大七夕まつりの一つに数えられる。
歩いてわかる地域を読む:出題でつながる視点
大磯町も東海道大磯宿を前身とするが、明治以降は伊藤博文や吉田茂ら政財界人の別荘地として発展した。宿場町と近代の別荘文化という二つの顔をあわせ持つ。
よくある質問
湘南ひらつか七夕まつりのきっかけになった出来事は?
空襲で焼けた市街地の復興イベントとして仙台の七夕まつりを手本に始まった祭り。当初は商業振興策の色合いが強く、1957年(第7回)から平塚市主催に切り替わった。飾りの基本単位は竹で編んだ直径約55cmの「くす玉」。
大磯町が「湘南発祥の地」と呼ばれる理由は?
町内の鴫立庵にある標石の裏面に刻まれた「著盡湘南清絶地」の文字が、「湘南」という地名の由来とされているため。