奈良市を歩く:社寺と記憶

752年に大仏の開眼供養が行われた東大寺、768年に創建された春日大社、そして710年に都が置かれた平城宮跡――奈良市には8世紀の記憶を今に伝える社寺や史跡が集まっています。この記事では、それぞれの建物や史跡が持つ具体的な年代と役割を紹介します。
奈良市の社寺は、単に古いというだけでなく、それぞれ異なる時代背景から生まれています。聖武天皇が発願した東大寺、藤原氏の氏寺だった興福寺、そして都そのものの跡である平城宮跡まで、成り立ちを知ると名前の重みが変わります。
以下では、社寺と史跡を組にして、由来や年代を具体的に紹介します。
東大寺と大仏殿
東大寺は聖武天皇発願の華厳宗大本山、大仏殿は1709年に再建された現在の建物です。
東大寺
東大寺は、聖武天皇の発願によって建立された華厳宗の大本山です。大仏の開眼供養が行われたのは752年で、インドや中国から来た僧侶も参列する国際色豊かな式典だったと伝わります。国分寺の総本山として、当時の日本各地から資材や労働力が集められました。
大仏殿
大仏殿は、現在の建物が1709年に再建された、3代目にあたる建築です。過去に二度焼失しており、創建当初と比べると間口はおよそ3分の2にまで縮小していますが、それでも世界最大級の木造建築であることに変わりありません。柱の一本には人が通り抜けられる大きさの穴が開いており、大仏の鼻の穴と同じ大きさとされています。
春日大社と興福寺
春日大社は768年創建の神社、興福寺は669年創建・藤原氏の氏寺です。
春日大社
春日大社は768年に創建された神社で、藤原氏の氏神を祀っています。参道から本殿にかけて石灯籠と釣灯籠が合わせて約3000基置かれており、2月の節分と8月の中元万灯籠の年2回、すべての灯籠に火が灯されます。背後には春日山原始林が広がり、社殿を包み込むように木々が茂っています。
出典:春日大社(公式由緒)
興福寺
興福寺は669年に藤原鎌足の病気平癒を祈って建てられた寺を起源とし、710年の平城遷都にあわせて現在の場所へ移されました。藤原氏の氏寺として権勢をふるい、寺宝には国宝の阿修羅像をはじめとする仏像が数多く伝わっています。三つの顔と六本の腕を持つ阿修羅像は、その静かな表情で知られています。
五重塔と元興寺
五重塔は1426年再建の興福寺の塔、元興寺は飛鳥時代の古瓦が屋根に残る寺院です。
五重塔
興福寺の五重塔は730年に創建されましたが、たびたび焼失し、現在の塔は1426年に再建されたものです。高さは50.1メートルで、京都・東寺の五重塔に次いで日本で2番目の高さを誇ります。猿沢池の水面に塔が映り込む眺めは、奈良を代表する景観の一つとされています。
元興寺
元興寺は、飛鳥にあった日本最古の寺院・法興寺を718年に現在地へ移して成立しました。極楽坊本堂と禅室の屋根には、移築の際に運び込まれた飛鳥時代の古い瓦が今も一部使われており、色や形の異なる瓦が混じり合ったまだら模様の屋根として見ることができます。
平城宮跡と朱雀門ひろば
平城宮跡は710年から784年まで都が置かれた宮殿跡、朱雀門ひろばは1998年復原の朱雀門を中心とする拠点施設です。
平城宮跡
平城宮跡は、710年から784年まで日本の都が置かれた平城京の中心部にあたる宮殿跡です。世界遺産に登録されており、儀式や政務が行われた第一次大極殿は2010年に復原されました。広大な跡地には礎石や基壇の一部が残るのみの区画も多く、発掘によって少しずつ当時の姿が明らかになってきています。
朱雀門ひろば
朱雀門ひろばは、平城宮跡の南側に整備された拠点施設で、宮の正門にあたる朱雀門を中心にガイダンス施設や食事処が並んでいます。朱雀門自体は1998年に復原が完成した建物で、間近で見ると柱の太さや彩色から、当時の宮殿の規模を実感できます。
よくある質問
奈良市でこのテーマを歩く順番は?
東大寺の大仏殿から春日大社へ抜け、興福寺・五重塔を経て元興寺へ向かうと、8世紀の寺社を時代の流れに沿って歩けます。
固有名詞は丸暗記した方がよいですか?
創建年や再建年をひとつ覚えておくと、似た名前の建物でも見分けがつきやすくなります。
出典はどこを見ればよいですか?
各項目の末尾に自治体・社寺などの一次情報を置いています。開催日や拝観情報は訪問前に公式ページで確認してください。