萩・長門の呼び名 ― 「長州」「防長」から「金太郎」「ぶち」まで

公開日:2026-09-29 / 最終更新:2026-10-01

萩・長門の地名と呼び名を描いた架空のドット絵風景

鮮魚売り場で「金太郎」と書かれた札を見つけたら、それは昔話の主人公ではなく魚の名だ。萩では、標準和名とは別の呼び名が、いまも日常に息づいている。

呼び名には、その土地が何を大事にしてきたかが表れる。萩・長門には、国を指す呼び名、人につけられたあだ名、魚や野菜の地元呼称、山口弁、景色や名物の異名と、層の違う呼び名が重なっている。

「長州」と「防長」は歴史の呼び名、「金太郎」や「ナメタ」は食卓の呼び名。「ぶち」は言葉の呼び名で、「海上アルプス」は景色の呼び名になる。

萩市自身も、まちじゅうが屋根のない博物館だと名乗っている。土地が自分をどう呼ぶかも、呼び名の一つである。

国と土地の呼び名 ― 萩・長州・防長・北浦

萩は毛利輝元が築いた城下、長州は長門国の別称、防長は周防と長門の二か国、北浦は日本海沿岸の萩・長門・下関にまたがる地域のくくりです。

萩

地名の由来は二説

萩市の地名の由来には、ツバキがつまって「ハギ」になったとする説と、近くにハギの茂る山があったことに由来するとする説がある。ツバキとハギは2006年11月11日に定められた市の花で、ハギは秋の七草でもある。笠山・虎ヶ崎の椿群生林は市の天然記念物。市の木はヒノキとマツで、クロマツを「男松(おまつ)」、アカマツを「女松(めまつ)」と呼ぶ。

出典:萩市の概要(市章・市民憲章等)

指月城

萩城のもう一つの名

萩城は1604年に指月山の麓で築城が始まり、別名を指月城という。標高145mの山頂には詰丸があり、麓の城と合わせて一つの城だった。建物が解体された後、旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山神社が創建されたときに、指月公園として整備されている。

出典:萩城跡・指月公園

防長ぼうちょう

周防の「防」と長門の「長」

周防の「防」と長門の「長」をとって「防長」と呼ぶ。関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の総帥とみなされた毛利輝元は、中国地方に広がっていた領地を、この周防・長門の二か国、36万9千石に削られた。萩往還の板堂峠には、花崗岩の国境の碑が立ち、「南周防吉敷郡」「北長門国阿武郡」と刻まれて、二つの国の境を今に示している。

出典:萩焼について萩往還(山口県の文化財)天樹院墓所

長州ちょうしゅう

長門国の異称、毛利の萩藩を指す呼び名

長州は長門国の異称で、長門の萩に城を構えた毛利氏の萩藩も「長州藩」と呼ばれた。輝元の移封は、「安芸の広島から長州の萩へ」という言い方で語られる。1863年に伊藤博文らが英国へ密航留学した「長州ファイブ」にも、この国名が残る。

出典:萩焼について萩往還伊藤博文旧宅長州(デジタル大辞泉)

北浦きたうら

日本海沿岸の地域くくり

北浦は、日本海沿岸の萩市・長門市・下関市を含むエリアを指す地域名で、海の幸に恵まれた土地とされる。特色には、捕鯨文化、下関のふぐ、萩の武家文化に根差した料理が挙がる。萩と長門を別々の町ではなく、一つの海岸線の上に並べて捉える呼び名である。

出典:中国地方 山口県|うちの郷土料理

人につけられた呼び名 ― 二十一回猛士から「おらが大将」まで

松陰は「二十一回猛士」、松門の四天王は高杉晋作ら4人、品川弥二郎は「殖産興業の神」、山田顕義は「法典伯」、田中義一は「おらが大将」と呼ばれました。

二十一回猛士

吉田松陰の号

吉田松陰は「二十一回猛士」の号を用いた。萩の泉福寺の位牌堂に安置されている松陰の位牌には、遺言どおり「松陰二十一回猛士」と刻まれ、号は死後の位牌にまで残った。

出典:泉福寺

松門の四天王と双璧

序列で呼ばれた松下村塾の塾生

松下村塾で「松門の四天王」に数えられたのは、高杉晋作・久坂玄瑞・入江九一・吉田稔麿の4人。このうち晋作と玄瑞は「双璧」とも称された。吉田稔麿は1841年に萩藩足軽・吉田清内の長男として生まれ、8歳ごろ久保五郎左衛門の塾で学び、16歳で松陰に入門した。誕生地は松下村塾から徒歩約3分の場所で、今は石碑だけが残る。

出典:吉田稔麿誕生地高杉晋作誕生地

殖産興業の神

品川弥二郎の異名

松下村塾に学んだ品川弥二郎は、信用組合法を制定して庶民の金融機関を確立するなどの功から、「殖産興業の神」と称された。1843年、萩藩足軽の子として生まれ、高杉晋作らと尊王攘夷運動に参加して、英国公使館焼き打ちや禁門の変にも加わった。松方内閣では内務大臣を務めている。

出典:品川弥二郎誕生地

法典伯ほうてんはく

山田顕義の異名

山田顕義は1844年に生まれ、14歳で松下村塾に入門した。第一次伊藤博文内閣で初代司法大臣として法典編纂に貢献したことから、「法典伯」と称される。1889年に日本大学の前身の日本法律学校、翌年に國學院を創設した人物でもあり、萩市椿東の誕生地は「顕義園」として整備されている。

出典:山田顕義誕生地(顕義園)

おらが大将おらがたいしょう

田中義一のニックネーム

萩出身の田中義一は第26代内閣総理大臣で、ニックネームは「おらが大将」。1864年(元治元)に藩士の三男として、城下町の菊屋横町に生まれた。1927年(昭和2)の金融恐慌のさなかに首相となり、支払猶予令(モラトリアム)で銀行の取り付け騒ぎを鎮めている。萩博物館の近くの素水園に銅像がある。

出典:田中義一誕生地

長州ファイブ

英国へ密航した若者たちの呼び名

1863年(文久3)5月、伊藤博文は井上聞多(馨)らとともに英国へ密航留学した。留学生は5人で、この一行がのちに「長州ファイブ」と呼ばれる。そのうち伊藤は、帰国後に明治新政府で参与や兵庫県令などを歴任し、1871年には岩倉使節団の一員として欧米を歴訪した。同じ一行の井上聞多は、四国連合艦隊の下関攻撃の計画を知って1864年に帰国し、和議のために奔走している。

出典:伊藤博文旧宅井上馨(明治維新人物調べ方案内 No.13)

海と畑の地元呼称 ― 金太郎・平太郎・ナメタ・黄あじ

萩ではヒメジを「金太郎」、オキヒイラギを「平太郎」、真ふぐを「ナメタ」、瀬つきのマアジを「黄あじ」と呼び、標準和名とは別の呼び名が暮らしに根づいています。

金太郎

標準和名はヒメジ

萩で「金太郎」と呼ばれる魚の標準和名はヒメジ。体長15cmほど、大きくても20cm程度の小魚だが、白身は真鯛に劣らない甘みがあり、全国的には一般的でないのに、萩ではスーパーの店頭にも並ぶ。口先に黄色いヒゲが2本あって山羊を連想させるため、英名は goatfish という。フランス料理の高級魚「ルージュ」の近縁種と知られて一躍有名になった。なぜ「金太郎」と呼ばれるのかは、分かっていない。

出典:金太郎|萩GoChi はぎのごちそう

平太郎

標準和名はオキヒイラギ

山口県で「平太郎(へいたろう)」と呼ばれる魚の標準和名はオキヒイラギ。生より丸干しで売られることが多く、萩では日常のおかずや、居酒屋の定番の肴として親しまれている。呼び名の由来は不明だが、平べったい体の形が由来ではないかと言われる。素揚げ・唐揚げ・南蛮漬けなどにされ、小骨や皮も一緒に丸ごと食べられる。

出典:平太郎|萩GoChi はぎのごちそう

ナメタと桜ふぐ

トゲのない真ふぐの呼び名と、春の愛称

萩で獲れる真ふぐは、体の表面にトゲがなくなめらかなことから「ナメタ」「ナメラ」と呼ばれ、古くから親しまれてきた。トラフグが「フグの王様」なら、真ふぐは「フグの女王様」と呼ばれる。令和4年度からは、河津桜が咲き始めるころに最盛期を迎える萩沖の春の真ふぐを「桜ふぐ」の愛称で売り出す取り組みが始まった。冬が旬とされるふぐが多いなか、春の真ふぐのおいしさを知ってもらうための愛称である。

出典:萩の真ふぐ|萩GoChi はぎのごちそう

イカの女王と須佐男命いか

ケンサキイカの二つの呼び名

萩の活きたケンサキイカは、「イカの女王」とも呼ばれる。萩市の須佐漁港で水揚げされた活きたケンサキイカには、ブランド名「須佐男命(すさみこと)いか」がつけられている。

出典:萩のけんさきいか|萩GoChi はぎのごちそう

黄あじ

瀬つきあじの別名

萩近海の海底の岩礁「瀬」に居ついたマアジは「瀬つきあじ」と呼ばれ、脂がのって肉厚。体が黄金色に輝くため、地元では「黄あじ」とも呼ばれる。回遊性の沖あじと違い、島々や岩礁の多い萩の海ではエサが豊富で隠れ場所も多いので、定着するという。旬は4月から8月。

出典:萩の瀬つきあじ|萩GoChi はぎのごちそう

萩たまげなす

「たまげる」が名前になった大ナス

「萩たまげなす」の品種名は田屋なす。重さ500g以上の良品を名づけて販売し、その大きさと味に「たまげる(驚く)」ことが名前の由来という。普通のナス3〜4本分の大きさがある。もともと長門市仙崎の田屋地区で栽培されていたもので、昭和50年代に種が萩市へ渡って広まった。長さ40cm以上、重さ1kg以上になることもあり、加熱するととろりと柔らかくなる。

出典:萩たまげなす|萩GoChi はぎのごちそう

しろうお

春を告げる小さな魚と、名前の混同

2〜4月ごろ、萩市の松本川河口付近では、産卵のために川をのぼる小さなハゼの仲間「しろうお」の漁が見られ、「春の訪れを告げる魚」「早春の風物詩」として親しまれる。体長は5cm程度で、生きている間は透明。「しらうお(白魚)」とは別種だが、名前が混同されやすい。活きたものを酢醤油で食べる「おどり食い」が名物。

出典:しろうお|萩GoChi はぎのごちそう

山口弁の呼び名と言い回し ― ぶち・なおす・みやすい

「ぶち」は「とても」、「なおす」は「片づける」、「みやすい」は「簡単」、「せんない」は「面倒」の意味で、標準語とずれる言葉が山口弁には多くあります。

ぶち

「とても」を表す比較的新しい方言

山口弁の「ぶち」は「とても、すごく」の意味で、「ぶち暑いっちゃ(すごく暑いよ)」のように日常会話で多用される。方言だと気づいていない県民もいるほど浸透した、比較的新しい方言である。荒々しい動作を表す言葉(ぶち壊す、など)から派生したといわれ、「ぶちえらい」のように他の方言とも組み合わせる。

出典:山口の方言をマスターしよう!山口弁の使い方

なおす・みやすい

標準語と意味がずれる二語

「なおす」は「直す」ではなく「片づける」の意味で、「それなおしといて!」は「それ片づけといて」。九州や関西でも耳にする言い回しで、機械などが壊れたときは「やぶれた」と言う。「みやすい」は「見やすい」ではなく「簡単、易しい」の意味で、「今日のテストみやすかったね」は楽勝だったという意味になる。学生がよく使う言葉だという。

出典:山口の方言をマスターしよう!山口弁の使い方

せんない・えらい・はぶてる・じら

気持ちや態度を表す言葉

「せんない」は「面倒くさい、しんどくてつらい」の意味で、「部屋の片づけせんないわ〜」のように使う。似た意味の「えらい」は何かをして疲れたときに使い、「ぶちえらい」と組み合わせる。「はぶてる」は「拗ねる、いじける」で、子どもの頃に「はぶてんそっちゃ!(拗ねるんじゃないの)」と言われる。「じら」は「わがまま、駄々」のことで、「じらをくる」は駄々をこねる意味。

出典:山口の方言をマスターしよう!山口弁の使い方

ちょる・よる・たう・すいばり

文法の使い分けと、県外で通じない言葉

「花が散っちょる」は散ってしまった状態(結果)、「花が散りよる」は今まさに散っている最中(進行)を表す。どちらも標準語の「〜ておる」が変化した形といわれる。ただし「〜ちょる」が進行を表す場合もある。疑問文では上がり調子の「〜するそ?」を使い、県の西南部では「〜ほ?」を使う人が増える傾向があって、「何しよるほ?」は「何してるの?」。「あれ、たう?」は「手が届く?」、「すいばり」は「トゲ」の意味で、県外では通じにくい。

出典:山口の方言をマスターしよう!山口弁の使い方

ふく・おいでませ・ちょるる

縁起と愛称に表れる言葉

山口県では「ふぐ」を「ふく」と呼び、諸説あるが、下関では「福」にかけた縁起担ぎでそう呼ぶともいわれる。観光キャッチフレーズは「おいでませ ふくの国、山口」で、「おいでませ」は「いらっしゃい」の意味。山口県PR本部長「ちょるる」の名前は、語尾の「ちょる」をアレンジしたもので、頭は「山」、顔は「口」で山口を表現している。山口市では、県名の「山口」と市名の「山口」をイントネーションで言い分ける。

出典:山口の方言をマスターしよう!山口弁の使い方

景色と名物と祭りの呼び名 ― 海上アルプス・天然の水族館・萩の七化け

青海島は「海上アルプス」、笠山は「東洋一小さい活火山」、明神池は「天然の水族館」、萩焼は「一楽二萩三唐津」と、景色や名物には印象的な異名がついています。

海上アルプス

青海島の風景をたとえた、評論の一文

『長周游覧記』(昭和5年発行)には、横山健堂の「アルプスは陸上にのみあるとは限らぬ、海上にもある」という一文が引かれている。日本海の荒波が削った断崖・洞門・岩礁の景観を「海上アルプス」の別称で呼ぶとき、よく挙がる言葉である。

出典:青海島青海島

東洋一小さい活火山

笠山につく呼び名

笠山は「東洋一小さい活火山」と呼ばれる。標高は約112mで、北長門海岸国定公園の中心にある。萩の海・山・川の自然としては、国指定天然記念物の明神池や、国指定名勝の長門峡も挙げられる。

出典:萩市の概要(地勢・産業)小さな火山・笠山で、自然の不思議を体感し、大地の恵みを味わおう!

天然の水族館

明神池の異名

笠山のふもとにある明神池は、外海とつながる海水の池で、マダイ・イシダイ・ボラなどの魚が泳ぐ姿から「天然の水族館」とも呼ばれる。池の近くで魚の餌が売られているが、周辺にはトンビが多いので、餌やりには注意が必要とされる。

出典:小さな火山・笠山で、自然の不思議を体感し、大地の恵みを味わおう!

萩の七化けと一楽二萩三唐津

萩焼につく二つの異名

「萩の七化け」は、使い込むほどに器の色合いが変わることを指す。表面の細かなひび(貫入)から水分がしみ込むことで、変化のたびに侘びた味わいが増していく。「一楽二萩三唐津」は、萩焼を日本屈指の焼き物として位置づける言い回しである。陶土のうち大道土や金峯土は、約1億年前のマグマが固まった花崗岩が風化してできた粘土だという。

出典:萩焼について萩市の概要(地勢・産業)萩のマグマと萩焼

千年の田んぼ

見島の八町八反

見島では、千年以上続くといわれる広い水田を八町八反(はっちょうはったん)と呼び、古代から農業が盛んだったことを示す「千年の田んぼ」として親しんでいる。島は日本海が誕生したころの火山噴火でできた。

出典:見島

萩大名行列はぎだいみょうぎょうれつ

掛け声と槍さばきで知られる行列

萩時代まつりでは、椿の金谷神社大祭に江戸時代から奉納されてきた「萩大名行列」が市内を練り歩く。「イサヨ~シ」の掛け声とともに毛槍を次々と投げ渡し、道具の持ち手を交代しながら進むのが特色で、要所では据えた御駕籠の前で草履を持って舞う「草履舞」が披露される。長さ約5.5mの長柄の槍を豪快に操る「長州一本槍」も、見どころの演目である。

出典:萩時代まつり

明治維新胎動の地

萩が自らにつける呼び名

萩市は自らを「明治維新胎動の地」と名乗り、「萩まちじゅう博物館構想」のもとで、まちじゅうを屋根のない博物館と位置づけている。城下町のたたずまいが今も残ることから、日本で唯一「江戸時代の地図がそのまま使えるまち」ともいわれる。

出典:萩市の概要(地勢・産業)

よくある質問

「長州」とはどこのことですか?

旧国名の長門国の異称で、現在の山口県の西半部にあたります。萩に城を構えた毛利氏の萩藩は「長州藩」とも呼ばれ、「長州ファイブ」のような呼び名にも残っています。周防国を合わせた二か国は「防長」と呼び分けます。

山口県の「ぶち」は方言ですか?

はい、山口県の方言です。標準語の「とても」にあたる強めの言葉で、「ぶち暑い」のように形容詞の前に置き、「ぶちえらい」と他の方言と重ねることもあります。山口弁の語彙のなかでは新しい部類とされ、乱暴な動作を表す語との関わりが指摘されています。県民のなかには、方言と意識せずに使っている人もいるといわれます。

「防長」とは何を指しますか?

周防国と長門国の二か国を合わせた呼び名で、ほぼ現在の山口県にあたる毛利氏の領国のことです。周防の「防」と長門の「長」を組み合わせた言い方で、関ヶ原の戦いのあと、毛利氏の領地が二か国に減らされたことで知られます。

萩で魚を「金太郎」と呼ぶのはなぜですか?

由来は分かっておらず、はっきりしません。分かっているのは、標準和名がヒメジという魚で、白身の甘みが真鯛にも引けを取らないとされること。全国的には一般的ではないのに、萩ではスーパーの棚に並ぶ魚であることです。同じ居酒屋の定番「平太郎」(オキヒイラギ)も、由来は不明で、平たい体の形からではと言われる程度にとどまります。

出典・参考

※ 由来に諸説あるものは「諸説あり」として記載しています。読み・由来は公開情報にもとづきますが、最新の情報は各出典でご確認ください。

執筆: LoreMania編集部/出典検証: 各項目に明記 / 編集・出典ポリシー

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