天草という『呼び名』 ── 地名の由来から人名まで

『天草』は、まず地名としての呼び名である。その由来には諸説あり、合併の歴史の中で多くの町の名前がこの一つの呼び名に集められてきた。この記事では地名としての天草の成り立ちをたどったうえで、天草四郎という人名や、みぞかという方言が生んだ呼び名にも目を向ける。
『天草』という言葉は、単なる地図上の記号ではない。地名の由来には複数の説があり、2006年の合併では10の市町の名前が一つの天草市という呼び名にまとめられた。
この記事では、地名としての天草の成り立ちと、天草四郎・みぞかといった人や乗り物の呼び名を出典に基づいて紹介する。
本文で紹介する天草の用語索引:天草市、天草上島、天草四郎、みぞか、天草五橋、天草大王
『天草』という地名の生まれ方
地名『天草』の由来には海人・民草説や『天両屋』転訛説など複数あり、744年の『続日本紀』に既に見える古い呼び名で、2006年には2市8町が天草市の名に統合された。
天草(地名の由来)
『天草』という地名の由来には複数の説がある。『あま』を海人(漁業に携わる人々)、『くさ』を民草(人々)と読む説のほか、『古事記』の国生み神話に出てくる『天両屋』という古い呼び名が転じたとする説も伝わる。奈良時代の記録である『続日本紀』にはすでに744年、肥後国天草の名が見え、古くから使われてきた呼び名であることが分かる。
天草市あまくさし
本渡市と牛深市、そして天草郡の有明・御所浦・倉岳・栖本・新和・五和・天草・河浦の8町。2006年3月27日、これら2市8町が一つに合わさって生まれたのが天草市という名前である。消えたはずの旧町名は、今も本渡・牛深・五和といった地区名として市内で使われ続けている。
出典:天草市の紹介
天草上島あまくさかみしま
天草諸島の中には、方位ではなく相対的な位置関係を表す呼び名も残る。天草上島・天草下島の『上』『下』がその代表で、天草諸島内で北にある方が『上』、南にある方が『下』と呼ばれる。地図上の呼び名一つにも、島々の位置関係を読み解く手がかりが隠れている。
出典:天草とは
天草五橋あまくさごきょう
地図の上の呼び名だけでなく、橋そのものに愛称がつくこともある。九州本土と天草諸島を結ぶ5つの橋は、1966年に開通した際『天草パールライン』という愛称で呼ばれるようになった。無機質な『五橋』という数字の呼び方と、旅情を誘う『パールライン』という呼び名が、同じ橋を指して今も並び立っている。
出典:天草五橋(上天草十橋)
人・乗り物・生き物につけられた呼び名
天草四郎は本名(益田四郎時貞)とは別の呼び名であり、天草エアラインの機体愛称みぞかや地鶏の天草大王など、人以外にも固有の呼び名が息づいている。
天草四郎あまくさしろう
『天草四郎』は本名ではなく呼び名である。一揆勢の総大将に担がれた際、出身地とされる天草と、当時ありふれていた名『四郎』を組み合わせた呼び名で語り継がれるようになったと考えられ、伝わる本名は益田四郎時貞という。なお出生地については、熊本県宇土市とする説のほか、大矢野島(現在の上天草市)に暮らしていたとする説も伝わっている。
出典:天草四郎の歴史
よくある質問
『天草』という地名の由来は一つに決まっているのですか?
いいえ、決まっていません。海人(あま)の民草(くさ)とする説や、『古事記』の『天両屋』に由来するという説など、複数の説が伝わっています。
合併前の町の名前はもう使われていないのですか?
いいえ、消えていません。合併でいったん行政上の役目を終えた後も、住所表記や施設の名前の中に、かつての町の名残がそのまま息づいています。
『天草四郎』はどういう意味の呼び名ですか?
『四郎』は当時の男性によくある名前で、姓というより通り名に近いものでした。地元での呼び方が積み重なって歴史書にまで残った、後世に定着したニックネームだと捉えると分かりやすいでしょう。