鎌倉の歴史の重なり|ご当地マニア検定

鎌倉は、源頼朝が幕府を開いた1180年前後から続く「武家の都」の歴史が、寺社・切通・海辺という層のように積み重なった街である。まずは街のシンボルである鶴岡八幡宮と鎌倉大仏の来歴を押さえよう。
鶴岡八幡宮は1063年の創建、鎌倉大仏は1252年の鋳造開始と、100年以上の時差がある。年代の前後関係を意識すると鎌倉の歴史の重なりが立体的に見えてくる。
本ページでは各項目に鎌倉市の一次資料を添えている。数字や年号はクイズで問われやすいポイントなので、出典と合わせて確認してほしい。
歴史の重なりを読む:まず押さえる名前
起点は1063年創建の鶴岡八幡宮。1180年に源頼朝が現在地へ遷して以来、鎌倉幕府と武家の守護神として崇敬されてきた。
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮は1063年、源頼義が由比郷(現在の材木座付近)に石清水八幡宮を勧請したのが始まり。1180年、鎌倉入りした源頼朝が現在地へ遷し、1191年の火災後、本宮(上宮)と若宮(下宮)からなる現在の姿に整えられた。以来、鎌倉幕府と武家の守護神として崇敬を集めている。
出典:鎌倉市「鎌倉の魅力」
歴史の重なりを読む:出題でつながる視点
もう一つの層が1252年鋳造開始と伝わる鎌倉大仏。鎌倉唯一の国宝仏像で、1498年の津波で大仏殿を失って以来露座のままだ。
鎌倉大仏
鎌倉大仏(高徳院の銅造阿弥陀如来坐像)は1252年(建長4年)に鋳造が始まったとされる、鎌倉で唯一国宝に指定された仏像。像高は約11.3m(台座を含め13.35m)、重量は約121t。もとは大仏殿に覆われていたが、1498年の明応地震による大津波で堂が流失して以来、屋外に露座する姿が定着した。
よくある質問
鶴岡八幡宮はいつ、どこに創建された?
創建当時の社殿は現在も「元八幡(由比若宮)」として材木座に独立した小さな神社が残り、今も参拝できる。現在の鶴岡八幡宮とは別の場所にある点に注意。
鎌倉大仏が屋外にある理由は?
大仏の胎内は空洞になっており、拝観料を別途払えば内部(胎内)に入って鋳造の継ぎ目などを間近に見ることができる。安全のため同時入場人数には制限がある。