Q1.浅草にあり、雷門と仲見世で知られる、都内でも屈指の歴史を持つ寺は?
- 浅草寺
- 寛永寺
- 増上寺
- 深大寺
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正解浅草寺
浅草寺は628年、隅田川で漁をしていた兄弟の網に観音像がかかったことに始まると伝わる、都内最古の寺院です。雷門から仲見世、宝蔵門を経て本堂に至る参道は東京を代表する観光地となり、年間およそ3000万人が参拝に訪れるとされています。
出典:浅草寺 本堂

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最終更新: 2026-09-14
雷門をくぐり、仲見世の先の本堂まで――浅草を訪れたら誰もが通る道を10問でおさらいします。三社祭を担う神社、隅田川越しに輝く現代建築、日本最古とされる遊園地、道具街として名高いかっぱ橋。どれも観光案内に必ず登場する顔ぶれですが、一歩踏み込んで尋ねます。10問を突破できたなら、友人を案内できる腕前です。答えを開けば出典つきの解説が待っています。
正解浅草寺
浅草寺は628年、隅田川で漁をしていた兄弟の網に観音像がかかったことに始まると伝わる、都内最古の寺院です。雷門から仲見世、宝蔵門を経て本堂に至る参道は東京を代表する観光地となり、年間およそ3000万人が参拝に訪れるとされています。
出典:浅草寺 本堂
正解雷門
雷門は浅草寺の総門で、正式名称は風雷神門。中央に「雷門」と大書きされた巨大な赤提灯が下がることで知られ、門の左右には風神・雷神の像が安置されています。現在の門は江戸期の姿を再現して再建されたもので、浅草のシンボルとして親しまれています。
出典:浅草寺 雷門
正解仲見世
仲見世は雷門から宝蔵門まで続く表参道で、江戸時代に境内の清掃を任された住民が出店を許されたのが起源とされ、日本でも屈指の歴史ある商店街として親しまれています。現在は東側・西側合わせて多くの店が軒を連ね、雷おこしや人形焼など浅草土産の定番が並びます。
出典:浅草寺 仲見世
正解隅田川
隅田川は浅草の東側を流れ、荒川から分かれて東京湾へと注ぐ川で、毎年恒例の花火大会や水上バスの発着でも知られています。川沿いの隅田公園は江戸時代から続く花見の名所で、吾妻橋など複数の橋が浅草と対岸の墨田区を結んでいます。
出典:隅田公園のサクラ
正解浅草花やしき
浅草花やしきは1853年(嘉永6年)開園で、現存する日本最古の遊園地とされています。もとは牡丹や菊などの花々を楽しむ庭園として始まり、後にアトラクションを備えた遊園地へと発展しました。浅草寺のすぐ西という下町のど真ん中に立地する点も、この遊園地ならではの魅力です。
出典:浅草花やしき FAQ
正解かっぱ橋道具街
かっぱ橋道具街は浅草と上野の間、南北に連なる通りにプロ向けの調理器具・食器店などが軒を連ねる専門店街です。飲食店の開業や運営に必要な道具がほぼすべて揃うといわれ、プロの料理人だけでなく一般客や海外からの観光客も買い物に訪れます。
出典:かっぱ橋の歴史
正解浅草演芸ホール
浅草演芸ホールは開業以来、1年365日休まず落語などの寄席を続ける常設の演芸場です。昼の部から夜の部まで入れ替えなしで長時間の興行が続き、浅草六区という古くからの演芸・娯楽の街の一角に位置しています。
出典:浅草演芸ホール
正解アサヒグループ本社ビル
隅田川対岸のアサヒグループ本社ビル隣「スーパードライホール」屋上には、フランス人デザイナー・フィリップ・スタルクが手がけた金色の炎のオブジェ「フラムドール」が輝いています。吾妻橋のたもとから川越しに眺められるこの建物群は、浅草の下町情緒と対照的なユニークな景観として観光客にも親しまれています。
正解○(正しい)
浅草駅には東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線・東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の3社局が乗り入れ、乗り換えの多いターミナル駅として日常的に利用されている。中でも銀座線は浅草を起点とする都内屈指の老舗路線で、開業から一世紀近い歴史を刻んでいる。
出典:浅草駅
次の15問は、浅草で働く人や長く暮らす人でもすぐには答えに詰まる領域です。羽田や成田へ乗り換えなしで結ぶ路線、東洋で最初に開業した地下鉄、下町の一杯飲み屋に伝わる由来、若き芸人を鍛えたエレベーターの逸話。どこかで聞いた話ばかりですが、正確に言い切るには一段の記憶力が要ります。年号や元号が手がかりになる問いも交じっています。
正解50mプールを5往復ほど(200〜299m)
仲見世は雷門から宝蔵門まで続く参道で、両側に約90店が軒を連ねる日本最古級の商店街のひとつ。歩いてみると50mプールをおよそ5往復するくらいの距離感で、短い参道ながら思いのほど歩きごたえがある。江戸時代に境内の清掃を任された住民の出店が起源とされ、今も雷おこしや人形焼などの土産物店が軒を連ねている。
正解都営浅草線
都営浅草線は京浜急行電鉄と相互直通運転しており、浅草駅からエアポート快特などに乗れば乗り換えなしで羽田空港まで行くことができる。同線はさらに京成電鉄とも直通しており、成田空港へも一本で結ばれる、国内外の玄関口を担う路線である。
正解約100基
三社祭2日目の「町内神輿連合渡御」では、44の氏子町会が受け継ぐ町内神輿およそ100基が浅草寺境内に集結し、次々にお祓いを受けて町へ繰り出す光景が見られる。担ぎ手の法被は町ごとに柄が異なり、威勢のよい掛け声とともに担ぎ比べを楽しむ観客も多い。
正解ビートたけし
ビートたけしは若き日、浅草フランス座でエレベーターボーイとして働きながら、コントの舞台袖で先輩芸人たちの芸を間近に見て学んだという。この経験がのちの芸人人生の礎になったと語られている。フランス座はストリップとコントを組み合わせた劇場で、浅草六区の演芸文化を支えた舞台の一つである。
正解日本橋人形町
人形焼は江戸時代から人形の芝居で栄えた日本橋人形町が発祥とされ、地名がそのまま菓子の名になった。大正時代に職人が浅草へ移り住み、雷門や五重塔をかたどった菓子として広まり、鳩をかたどった形も定番となって浅草土産の代表格に育った。
出典:人形焼
正解神谷バー
神谷バーは1880年(明治13年)創業、日本最初のバーとされる浅草の老舗で、名物「電気ブラン」は今も多くの常連や観光客に親しまれている。「電気」の名は、まだ珍しかった電灯や電気仕掛けの目新しさにちなんで名付けられたと伝わる、明治期らしい命名である。
出典:神谷バー
正解観音像
浅草神社の由緒では、檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川で漁をしていたところ、網に観音像がかかったのが浅草寺の始まりと伝わる。この観音像が浅草寺の本尊となり、後に郷士・土師中知がこれを私宅に安置して出家し、三人が浅草神社の祭神として祀られるようになった。
出典:浅草神社 由緒
正解宵越しの銭は持たない
「宵越しの銭は持たない」は、その日に得た金をその日のうちに使い切る気前のよさを誇りとした江戸っ子気質を表す言い回しで、下町・浅草の気風を語るときによく引き合いに出される。倹約より気風の良さを重んじる、職人や商人が多く暮らした下町らしい価値観を映す言葉ともいえる。
正解銀座線
1927年(昭和2年)、浅草〜上野間に東洋初の本格的な地下鉄路線が開業した。これが現在の東京メトロ銀座線で、浅草駅はその歴史的な始発駅である。開業当初は約2.2kmの短い区間だったが、その後延伸を重ね、渋谷まで結ぶ現在の路線網へと発展した。
出典:浅草駅
正解演劇と映画
明治後期から昭和にかけて、浅草六区には映画館や劇場が林立し、日本の大衆娯楽の発信地となった。この街から数多くの映画スターや芸人が育ち、戦後もストリップ劇場や演芸場が軒を連ねる歓楽街として、浅草の顔の一つを担い続けている。
正解ひみこ
「ひみこ」は漫画家・松本零士がデザインした水上バスで、涙滴(ティアドロップ)形の未来的な船体が特徴。2004年に就航し、浅草とお台場方面を結んでいる。同氏は別の水上バスもデザインしており、あわせて隅田川クルーズの名物として親しまれている。
正解23区中最小
台東区は10.11km²と23区で最も面積が小さいが、上野・浅草という2大観光エリアを抱え、昼間人口や観光客数では存在感の大きい区である。面積の小ささとは対照的に、寺社・美術館・商店街が密に詰まった、東京でも歩いて楽しめる区の代表格といえる。
出典:台東区
正解浅草文化観光センター
浅草文化観光センターは隈研吾の設計で2012年にリニューアルオープンし、最上階8階の無料展望テラスからは雷門越しに東京スカイツリーを一望できる。建物は木造家屋を積み重ねたような外観が特徴で、観光案内や多言語対応の窓口も備える、旅行者にとっての浅草の入口となっている。
出典:浅草文化観光センター
正解浅草横丁
浅草横丁は「食と祭りの殿堂」をコンセプトに2022年7月にオープンした施設で、大道芸なども交え、日本の“ハレ”の日の雰囲気を味わいながら食事を楽しめる。浅草六区の商業ビル内という現代的な立地に、祭りの縁日を思わせる屋台風の内装を再現した点が特徴である。
正解神谷バーは、名物カクテル「電気ブラン」で知られる明治創業の老舗である/ホッピー通りは、昼から気軽に一杯やれる立ち飲み・煮込み屋台が並ぶ通りである/浅草メンチは、伝法院通りにある行列のできるメンチカツ専門店である
神谷バー・ホッピー通り・浅草メンチはいずれも下町・浅草らしい飲食文化を今に伝える顔ぶれ。電気ブランは実際にはアルコール度数の高いブランデーベースのカクテルである。いずれも観光客だけでなく地元客にも長く親しまれ、浅草の食文化の懐の深さを物語っている。
浅草通を名乗るための最後の15問は、花街としての浅草、震災や戦災を経て建て直された年月、庭園や神事に刻まれた由緒など、ガイドブックには載らない知識を問います。順番を並べる問題や複数選びの問題も混ざり、覚えた断片を年表に沿って組み立て直す力が求められます。全問突破できれば、本番の検定でも上位の称号に手が届くでしょう。
正解約800m
かっぱ橋道具街は南北約800mに、調理器具から食品サンプルまで扱う専門店が軒を連ねる。プロの料理人から一般客まで買い付けに訪れる、日本有数の道具街である。大正時代に古道具商が集まったのが始まりとされ、以来一世紀近くにわたり飲食業を支える街として発展してきた。
出典:かっぱ橋道具街の歴史
正解江戸時代中期
浅草花街は江戸時代中期、浅草寺の門前町に誕生した。当初は広小路芸者・堀の芸者・猿若町芸者という3つの芸者集団に分かれていたが、のちに統合され東京六花街の一つに数えられるようになった。芝居町として栄えた猿若町の芸妓文化を受け継ぎ、浅草らしい粋な花街文化を今に伝えている。
出典:浅草 (花街)
正解氏子町会が担ぐ
三社祭の神輿は浅草各町の氏子(睦)が交代で担ぎ、観光客や僧侶が担ぐことはない。町ごとに法被の柄が異なり、担ぎ手の心意気を競う見どころにもなっている。この氏子組織は世代を超えて受け継がれ、祭りの担ぎ手であることが浅草の下町に生きる誇りとされてきた。
出典:三社祭とは
正解出世のエレベーター
ビートたけしは深夜、エレベーターの中で先輩芸人の芸を間近に見て学んだと語っており、この逸話にちなみフランス座のエレベーターは「出世のエレベーター」と呼ばれるようになった。同劇場からは他にも数多くの芸人が育ち、浅草が「芸人の修業の街」と呼ばれる由来の一つになっている。
正解名所焼
大正時代、日本橋人形町から浅草へ移った職人たちが雷門や五重塔、鳩などの形をかたどった人形焼を売り出し、当初は「名所焼」と呼ばれていた。のちに浅草の名所を象徴する菓子として定着し、現在の「人形焼」という呼び名が広く用いられるようになった。
正解ホタルナ
「ホタルナ」は、月夜に隅田川を舞う蛍のイメージから「ホタル」と月の女神「ルナ」を組み合わせた名。ひみこと同じく松本零士がデザインした。銀色に輝く未来的な船体はひみことは異なる意匠で、姉妹船とはいえ見た目の印象は大きく異なる。
正解高度経済成長期の終盤(1970年代)
浅草公会堂は高度経済成長の終盤に開館。六区の劇場街に代わる新たな芸能拠点として台東区が整備した文化施設である。落語や演劇、コンサートなど多彩な催しが行われ、前庭のスターの広場とあわせて浅草の芸能文化を象徴する場所になっている。
出典:浅草公会堂
正解1973年
浅草寺五重塔は東京大空襲で焼失後、1973年に再建された。本堂や宝蔵門より遅れての再建で、戦後復興が長期にわたったことがわかる。現在の塔は鉄骨鉄筋コンクリート造だが、伝統的な五重の姿を今に伝え、境内でひときわ高く聳える建造物になっている。
出典:浅草寺 五重塔
正解1964年
宝蔵門は東京大空襲で焼失後、実業家・大谷米太郎夫妻の寄進により1964年に再建された。奇しくも浅草演芸ホールが開場したのと同じ年である。仁王像や大わらじといった見どころも、この再建にあわせて新たに整えられたものである。
出典:浅草寺 宝蔵門
正解約170軒
かっぱ橋道具街には約170もの専門店が並び、食器・厨房設備から食品サンプルまで、飲食店経営に関わるあらゆる道具がそろう。近年は外国人観光客の来訪も増え、日本の食文化を裏側から支える職人技を垣間見られる街として注目されている。
出典:かっぱ橋道具街の歴史
正解びんざさら舞
びんざさら舞は田楽の一種で、三社祭に先立って浅草神社の社殿で奉納される豊作祈願の舞。氏子による古式ゆかしい所作が見どころとなる。田楽は田植えの前に豊作を祈って踊られた芸能で、現代の三社祭にもその古い農耕儀礼の名残がとどめられている。
出典:びんざさら舞
正解参道への敷石奉納 → 煉瓦造りの建物への一新 → 関東大震災による壊滅 → 朱塗りの商店街への再生 → 電柱の撤去と地中電線化
出店そのものの起源は江戸中期に遡るが、ここに挙げた出来事の中ではまず参道への敷石奉納が最も早く、続いて明治期に煉瓦造りの洋風建築へ一新された。しかし関東大震災で壊滅し、震災後に朱塗りの現在の姿へ再建、近年は電柱の撤去と地中化で景観がさらに整えられた。江戸時代から震災、戦災を経て今の姿に至るまで、幾度も生まれ変わってきた参道である。
出典:浅草寺 仲見世
正解伝法院庭園
伝法院庭園は江戸時代の作庭と伝わる回遊式庭園で、小堀遠州の手によるとも言われる。普段は非公開だが、春や秋に特別公開されることがある。池を中心に配された石組みや植栽をめぐりながら鑑賞する構成で、浅草寺の賑わいとは対照的な静けさを味わえる。
出典:浅草寺 伝法院
正解元禄より前の貞享年間ごろ
仲見世の起源は貞享2年(1685年)ごろ、元禄期に先立つ時期とされる。参道の清掃を任された近隣住民に出店を許可したのが始まりと伝わり、日本最古級の商店街のひとつに数えられる。以来330年以上にわたり、雷門から本堂へ向かう参拝客を土産物や菓子で迎え続けている。
出典:浅草寺 仲見世