高知(土佐)を歩く:城下町と龍馬

高知城は、江戸時代の姿をほぼそのまま残す全国でも珍しい城です。その城下から少し足を延ばせば、幕末の志士・坂本龍馬にまつわる場所が点在しています。この記事では、築城から幕末までの時間の流れを手がかりに、それぞれの固有名詞の位置づけを確かめます。
高知(土佐)の城下町と龍馬は、江戸初期の築城から幕末の動乱まで、二百年以上の時間差を持つ名前が同じ地図の上に並んでいます。高知城という起点を押さえてから読むと、追手門や本丸御殿がどの時代のどんな出来事と結びついているかが整理しやすくなります。
以下では、出典の記述を要約するだけでなく、それぞれの語がどんな年代・人物・出来事と結びついているかを具体的に紹介します。年号や数字などの手がかりも添えるので、クイズで名前が出たときに文脈ごと思い出せるようにしています。
城下町と龍馬:高知城と天守
高知城は山内一豊が築いた城郭全体を指し、天守はその中心にそびえる建築を指します。
高知城
高知城は、山内一豊が慶長6年(1601)に大高坂山で築城を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成して入城した城です。享保12年(1727)の城下町大火でほとんどの建物を焼失しましたが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建されました。
出典:高知城(高知城公式)
天守
天守は高知城の本丸にそびえる中心的な建築で、他の御殿建築とともに江戸期の姿を今に伝えています。天守を含む15棟が国の重要文化財に指定されており、本丸の建造物群が完全な形で残る城は全国でも高知城だけとされています。
出典:高知城(高知城公式)
城下町と龍馬:本丸御殿と追手門
本丸御殿は本丸に残る御殿建築を指し、追手門は城の正門にあたる建物を指します。
本丸御殿
本丸御殿は、高知城の本丸に天守と並んで残る御殿建築です。全国的にも本丸御殿と天守がともに現存する城は珍しく、享保の大火後の再建でも間取りや構造が創建時のまま踏襲されました。
出典:高知城(高知城公式)
追手門
追手門は高知城の正門にあたる門で、享保12年(1727)の城下町大火の際、城内でほぼ唯一焼失を免れた建物です。そのため天守などが再建される以前の姿を今に伝える貴重な遺構となっています。
出典:追手門(高知城公式)
城下町と龍馬:坂本龍馬と龍馬像
坂本龍馬は幕末に活動した土佐出身の志士本人を指し、龍馬像は桂浜に立つその記念碑を指します。
坂本龍馬
坂本龍馬は天保6年(1836)に土佐で生まれ、幕末に薩長同盟の仲介などで活動した志士です。慶応3年(1867)、京都の近江屋で暗殺され、31年という短い生涯を終えました。
龍馬像
龍馬像は、桂浜の高台から太平洋を見つめるように立つ坂本龍馬の銅像です。坂本龍馬という人物そのものではなく、後年に建てられた記念碑である点が、この二つの語を区別する手がかりになります。
出典:坂本龍馬像(高知市公式)
城下町と龍馬:坂本龍馬記念館と城下町
坂本龍馬記念館は龍馬と幕末を扱う博物館を指し、城下町は高知城を中心に広がる市街地を指します。
坂本龍馬記念館
坂本龍馬記念館は平成3年(1991)に開館し、平成30年(2018)の明治維新150年に合わせて新館がグランドオープンしました。建物は戦国期に長宗我部氏、江戸初期に山内氏が拠点とした浦戸城の跡地に建っています。
よくある質問
高知(土佐)でこのテーマを歩く順番は?
高知城から追手門、本丸御殿の順に見ていくと、江戸初期の城郭の構造がつかみやすくなります。そのうえで坂本龍馬記念館や龍馬像を訪ねると、幕末までの時間の流れも一緒に追えます。
固有名詞は丸暗記した方がよいですか?
高知城のように年号がはっきりしている名前は、いつ誰が何をしたかをセットで押さえると記憶に残りやすくなります。人物と記念碑のように似た名前が並ぶ場合は、実在の人物か後年の建造物かを区別しておくと安心です。
出典はどこを見ればよいですか?
各項目の末尾に高知城公式や高知市、坂本龍馬記念館などの一次情報を掲載しています。開館時間や行事の日程は訪問前に公式ページで確認してください。